インドはなぜ「スポーツ小国」なのか

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顧問・元ベトナム・ベルギー国駐箚特命全権大使 坂場三男

 インドネシアで開催されていたアジア大会が終わった。日本選手団は競泳を始めとしてまずまずの好成績を収め、メダル獲得数も金75個を含む205個で全参加国の中で中国に次いで2番目であった。韓国がメダル177個(金49)を獲得して3番目に入ったのも順当なところだろう。
 私がいつも不思議に思うのは13億の人口を擁する大国インドの成績がオリンピックや世界選手権などのスポーツ国際大会で常に振るわないことである。2018年のアジア大会でもメダル獲得数が69個(うち金15)にとどまり、全体の8番目という下位に沈んでいる。開催国のインドネシアはもとより、ウズベキスタンやイラン、台湾より少ない。2016年のリオ五輪を振り返るとインドのメダル獲得数は銀1、銅1の2個で、世界全体で67番目。東南アジアの4カ国(タイ、インドネシア、ベトナム、マレーシア)や台湾の後塵を拝するという惨状であった。日本の41個(うち金12)には遠く及ばない。
 インドが「スポーツ小国」なのにはいくつかの理由がある。その第一はメダルを量産するような「お家芸」がないことである。アジア大会レベルだと「陸上競技」(今回は金7、銀10、銅2)と「射撃競技」(金2、銀4、銅3)がメダルの稼ぎ頭になるが、世界大会となると太刀打ちできない。ホッケーは強いものの、何分団体競技とあってメダル量産というわけにはいかない(今回は女子チームが銀、男子チームが銅のメダル2つ)。国技であるクリケットはそもそもオリンピック種目になっていない。日本の場合は競泳、柔道、体操、レスリングのほか、最近では卓球、バドミントンなど一定数のメダル獲得が期待できる「お家芸」があるし、競泳の場合はアジア大会レベルならこの競技だけでメダルを40~50個ちかく(今回は金19個を含む52個)を大量獲得できる。とにかく個人種目の多い競技に強ければメダル獲得には有利なのだが、あいにくインドにはこれがない。
 そもそも、インドにはスポーツ振興を国策とする「文化」がない。この点で、かつてのソ連(ロシア)や東独、今の中国が国威発揚の一環としてスポーツ振興を図ってきたのとは事情を異にする。事実、インドでは小中学校の授業に「体育」(運動)がほとんど取り入れられておらず、関心のある子供はそれぞれのスポーツ・クラブに入って楽しむようなシステムになっている。従って、ある程度裕福な家庭の子供でないと幼少期からスポーツになじむことがない。特に、水泳などはクラブ自体が少なく、有力選手が育つ環境が整えられていない。今回のアジア大会でも競泳でのメダル獲得数がゼロであった。テニスや乗馬のクラブは多いが、世界にはこれらの競技を得意とする国が多いので、世界大会レベルでメダルを獲得するのは容易ではない。
 もう一つ、ヒンズー教やイスラム教の影響がある。これらの宗教では健康増進の「秘儀」こそあるものの、優劣を競うスポーツを推奨する教えは見られず、特に女子の場合は肌を露出するようなスポーツを行うことはタブー視されている。この影響は水泳などの場合に女子選手が育つことを困難にさせる。射撃なら肌を露出することはないので女子選手も多いが、幼少期から楽しむスポーツではないので、常に有力選手を輩出するというわけにはいかない。メダリストに賞金を出せば成績向上につながる可能性があるが、国の財政事情を考えればそれも難しいかも知れない。
 インド人のスポーツ習慣は英国による植民地時代にエリート層の間で多少の広まりを見せたようだが、クリケットなどの一部競技を除き、広く定着することはなかった。本家の英国はリオ五輪で中国を上回る67個のメダル(うち金27)を獲得したようにヨーロッパ随一のスポーツ大国だが、この点でインドは劣等生だったことになる。もっとも、人口13億人のインドにスポーツ大国になられたら困るのは日本かも知れない。