2006年9月の軍事クーデターでタイから追われたタクシン元首相は、今、モンテネグロという東欧の国の市民になり、同国のパスポートで国際移動している。一時はニカラグアなど6ヵ国の市民権を取得していたらしい。マレーシアの国家投資基金(1MDB)を舞台に巨額の不正を行ったとされる同国の金融資本家はセント・キッツの、また、パンジャブ州立銀行から20億ドルを横領した罪に問われているインド人富豪はアンティグア・バブーダの、それぞれ市民になっている。金さえあれば、居住権だけでなく、市民権を取得しパスポートを入手できる国は世界にたくさんある。
最近、某英字誌が報じたところによると、こうした「投資移民」ビジネスによって、毎年、数千の正式パスポートが売買され、居住権に至っては数十万件の規模の取引が行われているという。業界では英語の頭文字を採って「CRBI産業」と呼ばれ、近年、大いに繁盛しているらしい。最大手の投資移民評議会(IMC)というコンサル会社は、市民権売買件数を年間5千件、そのために「投資」された金額を約30億ドルと推計している。居住権取得案件に至っては数えきれないという。
こうしたビジネスを行っている国の多くは、カリブ海や南太平洋の島国、あるいは地中海のキプロス、マルタといった小国だが、一定の投資額の見返りに居住権を付与する制度は米国やカナダ(ケベック州)にもある。因みに、米国のEB-5ビザの場合は、百万ドル以上の投資(一部の指定された州への投資の場合は50万ドル以上)を行った者に居住権が付与されており、毎年1万人近い富豪がこの恩恵に浴している。現在も多くの申請(大半が中国人によるもの)が待機状態に置かれており、審査結果が出るまでに18年を要するというから驚く。
「投資移民」ビジネスは関係する小国にとっては死活を制する場合がある。そのため、最低投資額の引き下げや審査期間の短縮といった投資誘致競争が行われる。カリブ海の島国ドミニカ(注:ドミニカ共和国とは別)では、CRBI投資額がGDPの10%、政府歳入の16%に上ると言う。マルタでは65万ユーロ(約8500万円)を無償提供すれば同国のパスポートが入手可能らしい。今年になって、モルドバやモンテネグロもこの「市場」に参入した。ただ、投資受け入れ国側も、投資家が買収した不動産の短期転売を制限するなど、投資資金を安易に回収されないよう知恵を絞っているようである。
EUでは「投資移民」ビジネス自体が問題視されている。マルタやキプロスが正体不明の外国人投資家(テロリストの場合もあり得る)に安易に市民権を付与すれば治安上も由々しい問題になりかねない。OECDは課税逃れ防止の観点から規制を強化しようとしている。自国のパスポートを外国人に「売る」行為は国際犯罪を助長するという問題もある。
「投資移民」ビジネスの顧客には中国人だけでなく、ロシア人、インド人、ベトナム人も多いらしい。自国での政治的迫害から逃れるためとか、単純に、子供に良い教育機会を提供したいという親心が動機という場合もある。中国のように二重国籍が認められておらず、外貨の持ち出し規制も厳しい国で市民権取得を目的とした個人の外国投資案件が多いというのは少々驚きである。もし、米国政府がEB-5ビザを申請している中国人のリストを公表したら中国共産党に激震が走るかも知れない。