「普天間飛行場全面返還合意から22年」
―進まぬ現実、冷戦時代に似ていないか?―

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会長・政治評論家 屋山太郎

 沖縄県知事に玉城デニー氏が当選した。玉城氏も前任の翁長知事同様に普天間飛行場の辺野古への移転に反対だという。そもそもこの移転話が出てきたのは普天間飛行場が市街地の中にあるから危険。そこで海辺の辺野古沿岸部を埋め立てて、そこに移転しようということになったのである。この移転話は1996年4月に当時の橋本首相と米国のモンデール駐日大使との間で「5~7年以内に普天間飛行場を全面返還する」と合意したものである。2006年5月には日米両政府が14年までに辺野古沿岸部にV字型滑走路を建設する案で合意している。
 09年には「県外・国外移設」を掲げる民主党・鳩山内閣が誕生、移設案がフイになりかけたことがあるが、鳩山首相が一転して辺野古移設を容認して“元通り”になった。目下日米両政府間では22年度以降に返還する計画で合意している。
 行政上の手続きとしては海辺の埋め立てには県知事の承認が必要となる。これについて13年12月に仲井眞弘多沖縄県知事が埋め立て承認を承認し、工事が進められたが、15年翁長雄志沖縄県知事が埋め立て承認を取り消した。これについて16年12月、最高裁が翁長氏の対応を違法とする判決を下し、国の勝訴が確定。17年4月から護岸工事に着手したが、18年8月に翁長氏が死去。不可解なのはこの直後、県が埋め立て承認を撤回したことだ。国は目下、この撤回処分は無効だとの訴訟を起している。
 言うまでもないが、国防の全権は内閣総理大臣が持つ。普天間飛行場の移設の権限を握っているのも総理大臣だ。総理が「辺野古に移す」と言い、駐日大使がその案を受け入れて手続きは終わったのである。ところが翁長氏はワシントンへ飛び、直接、米政府に陳情を申し入れようとした。米政府がこういう見当違いの男の相手をするはずがない。
 安倍首相が「新安保法」と言われる防衛関係法を立法するまで、日本の法制局は、日米安保条約について、「集団的自衛権を締結する権利はあるが、行使はできない」と言い続けてきた。行使できない権利などこの世にある訳がないだろう。古い法律のツボにこもって外界を見ないと、脳ミソまで腐ってしまうのだろう。
 沖縄諸問題に群がる人達に言いたい。改めて世界を見つめ直して欲しい。沖縄から米軍の基地がなくなって喜ぶのは中国人だろう。彼らは米国が攻めてきたように沖縄から上がってくるはずだ。沖縄は地政学的に見ると日本の要衝にある。中国大陸から太平洋を眺めると沖縄が視界を防ぐように存在している。基地がなければ誰も攻めてこないと言うのか。米ソ冷戦の末期、西側のベルギー、オランダなど小国は、米国の核兵器配備反対運動が特に激しかった。ところがソ連邦が崩壊後、その運動にカネを出していたのがソ連だったことも判明した。どこか似ていないか。