北朝鮮の脅威で高まる核武装論 ―外交交渉カードのひとつに―

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JFSS研究員・拓殖大学客員研究員・元韓国国防省北韓分析官 高 永喆

 北朝鮮の核・ミサイル実験を受けて、韓国で「核武装論」が高まっている。実際に核を持つようになるのは非現実的だが、韓国にとって外交交渉のカードの一つとして有効な面もある。

 北朝鮮は、1月に4度目となる核実験を実施した。
 2月7日には「人工衛星」と称した事実上の長距離弾道ミサイルを発射。韓国で核武装論が高まったのは、こうした北朝鮮の核・ミサイル開発の進展がきっかけだ。
 核武装論を唱えるのは、主に与党セヌリ党やその後ろ盾となる保守系や反共の団体・組織である。韓国メディアも、1月の核実験後、『朝鮮日報』が「核保有、米国と真摯に意見交換を」(日本語版)と題する社説を掲載し、核武装の必要性に言及。『東亜日報』も間接的な表現ながら、核保有の検討を進めるべきだと主張した。
 『中央日報』が報じた2月半ばの世論調査では、韓国の核保有について「賛成」「ある程度賛成」合わせて67.7%に達した。
 北朝鮮の核開発の進展は、韓国の安全を脅かす。核拡散防止条約(NPT)には「異常な事態が自国の至高の利益を危うくしていると認める場合には、その主権を行使してこの条約から脱退する権利を有する」と定められている(第10条)。核武装論を主張するグループは、これを根拠に、NPTからの脱退と核保有の正当性を訴える。

朴正煕元大統領が最初
 韓国で核保有に向けた機運が高まるのは、今回が初めてではない。
 北朝鮮が3回目の核実験を実施した2013年2月、自衛のためにも核を保有すべきだとする核武装論が唱えられた。当時は自前の核を保有すべきかどうか国民投票に問うべきだとする意見まであった。当時の世論調査では68%が核保有に賛成した。
 そもそも、核保有の必要性を唱えたのは、朴正煕元大統領が最初だ。朴元大統領は1975年6月、米『ワシントンポスト』記者との対談で「米国がもし(韓国から)『核の傘』を撤収すれば、核兵器を含む私たちの生存を保証することのできるすべての必要な措置を講じたい」と明言。核を保有する準備があることを国際世論に訴えた。
 1953年の朝鮮戦争休戦後も、北朝鮮と緊張関係にあった韓国は、米国の「核の傘」の下で北朝鮮との軍事バランスを維持していた。だが、米国が朝鮮半島から撤退することになれば、一気に両国の勢力均衡は崩れ、韓国が北朝鮮に侵略される恐れがあった。そこで朴元大統領の発言につながったのだ。こうした状況は今も昔も変わらない。
 実際に、当時、朴元大統領は行動に乗り出したふしがある。在米の核物理学者をブレーンに招くなど、核兵器開発の可能性や研究に踏み切ったのだ。しかしその後、朴元大統領は79年に逝去。後任の全斗煥元大統領が外交面で米国の顔色をうかがう姿勢だったこともあり、核開発が実現することはなかった。

核ドミノ
 韓国内の北朝鮮の軍事力に対する警戒感は根強い。特に先端分野で顕著だ。
 北朝鮮については一般的に「食糧難で貧しい国」というイメージがあるが、今回の核•ミサイル実験で明らかになったように、核開発が着実に進んでいる。サイバーテロについても、6000人規模の体制を敷いているとみられる。ネットを通じて機密情報を盗み取るハッキングや、風説を流して心理戦を仕掛けるなどソフト面の技術も磨いている。
 北朝鮮のIT人材は、韓国人や日本人になりすまして作ったホームページへの書き込みを通じて、韓国人や日本人が反日や反米、反政府感情を持つようにそそのかし、日米韓の関係が悪化するような情報工作を繰り返している。
 また、陸海空の特殊部隊は合計20万人程度を擁するとされる。スパイ工作については「冷戦時の米国CIA(中央情報局)や旧ソ連のKGB(国家保安委員会)並みの実力」との分析もある。
 韓国と北朝鮮の軍事力を比較するうえで引き合いに出されるのは、10年11月の延坪島砲撃事件だ。米偵察衛星に映された写真情報を使って北朝鮮軍の砲弾着弾地点を調べたところ、北朝鮮の砲撃がほぼ狙い通りに的を捉えていたのに対し、韓国軍による反撃の多くが標的を外していたことが分かった。韓国軍が突然の事態に慌てていたのだとしても、訓練や熟達の差を見せつけられた格好だ。
 両国の徴兵制度を見ても、兵役義務は韓国が3年弱なのに対し、北朝鮮は10年近くに達する。熟練度にはおのずと差が開いてしまうだろう。
 ただし、韓国が一足飛びに核を保有するようになるかというと、その実現性は低いとみられる。
 足元で高まる核武装論の主張の多くも、「北朝鮮が核開発を続ける限り」との条件付きだ。北朝鮮が核開発をやめれば、韓国も核開発をやめるというスタンスである。
 韓国民も、同じ民族である北朝鮮との平和統一を実現したいと考える人が大部分を占める。核兵器を持つことで両国間の武力衝突を招いたり、平和統一の道筋が遠くなったりすることを懸念する声があるのも事実だ。
 北朝鮮に対して「弱腰」と指摘されることのあるオバマ米政権も、韓国からの撤退はすぐには考えていないだろうし、逆に韓国が核を持つことに対して黙ってはいないはずだ。米国だけでなく、中国やロシア、日本などの周辺国の理解を取り付けるのも難しい。
 韓国が万が一、韓国が核を持つことになれば、なし崩し的に日本や台湾が追随する「核ドミノ」の危険性も生じるためだ。
 韓国が核を持つことについての懸念の背景には、原発由来のプルトニウムもある。米国の核物理学者トーマス・コクラン氏らは、韓国南東部にある月城原発の4つの加圧重水炉を通じて年416個の核爆弾に相当する2500㌔のプルトニウム精製が可能で、韓国が実際に核開発に乗り出したら「5年以内に数十個の核弾頭を作ることができる」と分析している。

中国の背中を押す
 だが、国際社会にとって、韓国の核武装論にも一定の意義やメリットもある。
 一つは抑止力だ。仮に韓国が核兵器を持つ、あるいは核保有の現実性が高まれば、北朝鮮の核開発に歯止めをかける効果が期待できる。冷戦時代に「第三次世界大戦」の発生を抑えることができたのは、米ソ両国のいずれかが核使用に踏み切れば、両国とも破滅に追い込まれるとの「恐怖の均衡」が取れていたためだ。
 北朝鮮の核を無力化し、金正恩政権を体制崩壊に導く効果も期待できる。国際社会で北朝鮮の脅威の源となってきた核兵器の威力が相対的に減衰し、これまでのように北朝鮮の「脅し」や「挑発」が通用しなくなるためだ。すると、金政権の権力基盤にも大きな打撃を与えることにもなるだろう。現在も、この効果に注目して「核武装こそ南北統一への近道」と唱える意見がある。
 北朝鮮に大きな影響力を持つとされる中国に対して、北朝鮮の核廃棄に向けた働きかけを促す効果もある。中国も当然、韓国が核を保有することに強く抵抗するだろう。そこで中国は、韓国の核保有を阻止すべく、北朝鮮に対して核開発を中止するよう、より強い圧力を掛けるようになるはずだ。北朝鮮に対する経済制裁や金融制裁の限界が明らかになりつつある今のような状況ではなおさら、中国の背中を押すことになると考えられる。
 日本においては、核武装論というと、物騒に聞こえるかもしれない。しかし、独裁国家と隣り合わせの韓国においては、まったく荒唐無稽な議論とは言えないものだ。
 北朝鮮の核開発の進展に圧力をかけるための外交交渉カードの一つとして、前向きな効果も期待できるのである。                                
                                                         
※本稿は週刊『エコノミスト』2016年4月12日号に掲載されたものです。