民主党の菅直人内閣の時、中国の漁船が日本の専管水域に侵入した。日本の監視船が近付いて排除しようとしたところ、漁船は自爆を覚悟で監視船に突っ込んできた。日本側が船長を逮捕したのは当然で、本来なら裁判にかけて結末をつけるところだ。ところが「裁判は免除、特別機で本国へ送り返す」という。この泥棒とのなれ合いについて、ある記者が「そんなことをしていいのか」と問うた。その時の官房長官だった故・仙谷由人氏は裏で外務省に「早く手を打て」とけしかける一方、官邸から沖縄の裁判所に「早く釈放しろ」と厳命した。結局船長は特別機で北京に送り返されたが「どういう理由だ」と責める記者に「中国には昔から漢字を全部教わった恩もあるからな」と仙谷氏が言う。
この一言で仙谷氏の中国観が垣間見えた。3万語からの漢字を全部教えてもらって、日本文明の根幹とした。日本文学は漢字あってのものと認識していたのだろう。源氏物語、枕草子は確かに1000年以上昔に生まれたものだが、その200年程前に、かな文字を考案していなければ、こういう女流文学はうまれなかったろう。
日本文字は漢字の借用だが、借用に当たって絶妙な取捨選択を行った。ヘンかツクリのどちらかをとって簡素化する。一方で漢文には過去、未来、などの時制がない。助詞もないし動詞も活用しない。漢字が発する音はひらがなのように一つ。似た音だからといって他の漢字を当てるわけにはいかない。
紀元前100年頃、秦の始皇帝は「焚書坑儒」を行った。儒教の本が焼かれ儒学者80人ばかりが火あぶりにされた。大変野蛮な行為とされているが、真意は違う。漢字はヘンとツクリでいくらでも作れるから当時2~3万の漢字が存在していたらしい。3万もあれば自家運用によって何でも表現できる。これでは字を使う意味がなくなる。そこで始皇帝は国で使う文字を3千3百に定め、残りはすべて廃字とした。文書を書く人を試験で選択した。
この経験がのちに「科挙」の制度にグレードアップする。
日本では欧州の科学、文学が入った頃、あらゆる本が読めるよう英語を日本語に置き換える役所を置いた。ナショナリズムという単語をどう表記すべきか。ナショナルを国家、イムズを主義。中華人民民主主義共和国というのは中国の正式国名だが、本来中国語として存在しているのは「中華」のみで「人民」も「民主主義」も「共和国」も和製中国語なのである。中国在住の専門家に聞くと、発音が違うから中国語と思って使っているが、全中国語の6割から7割は和製漢語だという。仙谷氏は「漢字を貸してくれてありがとう」程度で十分だった。
全中国は5区に分けられ各区で中国語を統一したい意向だが、一国一言語を建設するのは、ムリということだ。
(平成31年3月27日付静岡新聞『論壇』より転載)