「田舎暮らしは慎重に。」

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政策提言委員・元参議院議員 筆坂秀世

 テレビ朝日の土曜日の番組に「人生の楽園」というのがある。西田敏行と菊池桃子が案内役で、還暦前後の夫妻が田舎に移住し、これまでの仕事とは全く違う仕事に挑戦し、嬉々として第二の人生を謳歌する姿を紹介するものだ。
 私も時々見るが、いつも「眉唾ものだなあ」と思って見ている。そもそもこの番組には、田舎はのんびりしていて、人々は何事にも寛容で優しい人たちのいるところという架空の前提が置かれている。私は兵庫県のど田舎で生まれ育った。水田は全て棚田である。村の中に平らなところは殆どない。結婚前に妻を連れて帰ったのだが、風呂は五右衛門風呂、便所は納屋の一角という光景に、泣きそうになったそうである。村全体が貧しいのだ。
 『国家の品格』の著者である藤原正彦氏が、あるエッセイの中で知り合いの若い百姓が詠んだ短歌を紹介している。それが次の歌だ。「牛の肥えしことにも嫉妬する村人山深く貧しき村に吾が住む」。高度成長時代の昭和40年代に詠まれたものだ。牛が肥えても、稲穂が実っても、田舎は全てお見通しで、それが時には嫉妬の、時には蔑みの対象になるのだ。これは田舎だけではない。人は誰もが嫉妬渦巻く中で生きているのだ。
 「人生の楽園」を見ると、新たな土地でどんな仕事をするのかと言えば、パン屋さん、レストラン、宿、居酒屋等々の客商売なのだ。テレビで紹介されるぐらいだから、商売は軌道に乗っているかに見える。村人とも和気藹々の映像が流される。
 だが私には、2つの根本的な疑問がある。第一は、見ず知らずの人間が都会からやってきて、いきなり始めた商売が上手くいく、そんな光景を村人はどう見るのか。嫉妬の塊になること間違いなしだ。
 第二は、そもそもそんなに簡単に商売が上手くいくのだろうか。ここで取り上げられている多くは、商売経験のない素人である。商売というのは、1年や2年で判断出来ない。20数年前に、私の友人夫妻が銀行を退職して信州でペンション経営を始めた。蓼科湖の近くだった。私も何度か行った。銀行員時代の友人などが来てくれて、最初のうちは何とかなっていたようだが、数年で閉鎖することになった。最大の要因は、奥さんの身体が持たなくなってしまったからだ。自分で商売をやるというのは、そういうことなのだ。一方が身体を壊せば、それで終わってしまうのだ。
 最近、お気に入りのCMがある。エン・ジャパン株式会社が運営する総合求人・転職支援サービス『エン転職』のCMだ。「エン」というのは、「縁」をもじったそうである。このCMの決め言葉は「転職は慎重に。」である。「売り手市場で転職者優位な状況が続く今こそ、安易な転職で後悔しないよう、慎重に転職活動に臨むことが大切。十分に情報を収集した上で、真に活躍できる仕事・会社を見つけていただきたい。そんな想いを込めたメッセージ」だそうである。
 私も言う。「田舎暮らしは慎重に。」