はじめに
私は防衛大学校を含めて40年半、冷戦時代が20年、冷戦後が20年と、半分ずつになりますが我が国の防衛に従事しました。特に、冷戦時代は当時のソ連と本当に激しく睨み合っていました。最近中国が海上自衛隊や航空自衛隊に対して行っている挑発行為は、報道ベースの情報が正しいとすれば、冷戦時代であれば「あっ、そう」という程度の話であったと考えられます。恐らく今日の政治を含む日本社会は、このような外国が絡む事象に極めてセンシティブティと言いますか、その感性が非常に敏感になっているために、少しでも何か事態が発生すると大騒ぎする一面もあると思います。
海上自衛隊時代、特に私が勤務期間前半の一番大きな関心はソ連で、最も重要な国は勿論アメリカでした。同時に、海上自衛隊の指導者たちは1980年代から、即ち、アメリカより遥か先に「中国が危ない」と、その危険性に着目していました。その考え方に基づき、海上自衛隊はアメリカ海軍に対して色々な機会に「中国が危ない」と言い続けたのですが、当時のアメリカ海軍は乗ってきませんでした。そうこうしているうちに90年代となり、中国が力をつけ始めたその時期に漸くアメリカ軍が動き始めました。日本とアメリカで中国に対する認識が漸く一致しかかったその時に、1994年の北朝鮮の核問題が出てきたのです。ある意味、冷戦が終結した1989年以降、日本は中国という中長期的に非常に悩ましい国と、突然「核」を振りかざして登場した北朝鮮という2つの国に直面せざるを得なくなったということです。
私は北朝鮮について特別詳しい訳ではありませんが、我が国の総合的な安全保障の観点から中国や北朝鮮をどのように見、位置付けてゆくのか、また、それに関連してトランプ新政権をどう見るかということを私のアメリカとの関わりというレンズを通して話します。
アメリカ社会の変化
私とアメリカの関わりは多々ありますが、最初にアメリカに行ったのは1971年、防衛大学校の4年生の時でした。当時、猪木正道先生が校長に就かれ、校長のイニシアチブで4学年の学生をアメリカの士官学校に短期派遣をしようということになり、1971年10月に最初の派遣学生として陸軍のウェストポイントに2人、海軍兵学校に1人、空軍士官学校に1人が1ヵ月間派遣されました。当時は、ここにおられます古森さんが丁度デビューされた頃で、古森さんのベトナム報告は私も詳しく読んでいましたが、当時は正にベトナム戦争の最中であり米軍各軍学校の学生は任官後のベトナム出征を控えており、眦(まなじり)を決していました。