日米安全保障条約と日米修好通商条約(その1)

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理事 石川裕一

はじめに
 アメリカ合衆国では、2017年1月、第45代大統領にドナルド・トランプ氏が就任し、東アジアの安全保障を取り巻く環境は、バラク・オバマ前大統領の政策と大きく変化している。トランプ氏の政策は、就任後直ちに明白になり、「世界各国と基本的には友好親善関係を築くが、世界の全ての国は自国の利益を最優先する権利がある。
 アメリカがそのやり方を押し付けることはないが、模範として見習らわせたい。アメリカ第一主義を貫く」との発言で示されたように、東アジア政策の中でも、対中国・北朝鮮に関しては、前政権の政策とは一線を画していくように感じられる。アメリカが自国にとり脅威と感じる場合の対応が、以前の曖昧さから明確な政策に変化したものと考えるべきである。アメリカの動向が日本の安全保障に直結しているのは、今も昔も変わらぬ状況と言えよう。アメリカが我が国との関係を構築した当初から、アメリカは我が国に対し友好親善を前提とした政策を採択してきた。両国にとり不幸な時代とは、アメリカが特殊な指導者の下で、特殊な国際関係に影響されていた時代であったことは、我が国において、国民の間であまり認識されず検証もされていない。交渉の当事者の人的資質並びに国際環境などにより、外交関係が左右されることは歴史が証明している。
 日米関係については、日本が世界にデビューした19世紀中盤から、東アジアにおけるアメリカのプレゼンスが日本の安全保障に影響を与え、その結果として日米関係が良好な関係である時代と、不幸にして、日米双方が敵対し戦闘を行った時代に分かれていることは既成事実として歴史に刻まれている。日米が同盟国の時代と敵対国の時代とに分かれるのは、取り巻く世界環境はもとより、国の指導者、更には対面する担当者の人間性や思考にも大きく左右していることを再度認識して、今後の日米関係を構築していくことが、我国の安全保障上、不可欠なことであると考える。

欧米諸国の日本への進出
 江戸末期、我が国はマーシュ・C・ペリー来航により1855年、ヨーロッパ各国に先立ち日米和親条約が締結された。下田で締結されたその条約の意を受け、アメリカはジェームス・ブキャナン大統領の下、タウンゼント・ハリスが1856年に初代日本領事として来日した。ハリスと江戸幕府の井上信濃守、岩瀬肥後守による再三再四の条約交渉が実を結び(公式交渉は15回行われるが、両名による非公式なハリス訪問は、事前打ち合わせの回数として枚挙に暇がなく、いずれもハリス日記に詳細に記録されている)、日米修好通商条約の締結が1858年7月29日、小柴沖の軍艦上で締結された。