戦後73年、大きく揺らぐ世界秩序
―外交・安全保障政策と日本の自立―

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会長・政治評論家 屋山太郎

戦後の価値観の変化
 見なれた世界が目まぐるしく変わりつつある。米ソ冷戦期は世界が凍りついたようだったが、日本は米国の懐に抱かれて、経済の発展に勤しんだ。冷戦後も米国一強時代が続き、その下で日本経済は海外に進出した。こういう幸せな時代は終わり、多極化の時代と言われるようになったが、その中で、人種の平等、貿易の自由という戦後の価値観が形成された。この価値観は揺るぎないものに見えたが、突然崩れかけているように見える。加えて米国の軍事力の「絶対」も脅かされつつある。
 1970年代、通信社の記者としてスイス・ジュネーブに赴任した時の感動を忘れることができない。スイスのあらゆる都市で、歩道橋にエレベーターがついていた。どの国でも100人のうち1、2%の身体障害者が存在する。日本の社会は健全な98% の人達のためだけの社会だった。19世紀から“赤十字” 運動を始めたスイスの原点は100人のための社会を作るということだ。
 白人の若い夫婦がベトナム難民の孤児を引き取って育てていた。人種差別感を押し殺して人道という建て前を貫き通しているのだろうと思ったが、人道主義を何世代にも亘って貫き通すと心底、平等感を持つ人種が生まれてくるようだ。誰にも頼らず攻められれば民間人が戦うという“民間防衛” の精神も分かった。スイスに帰化したイタリア人に本音を聞くと「立派なものだが、オレにはできない」と言った。世界のお手本の中で生活したせいか、世界はこういう平等社会を目指して行くのだろうと思ったものだ。建て前を追求していくと、それが本音になるのかと信じかけた。
 しかし、今ヨーロッパだけでなく、アメリカで起こっていることは、人々が建て前を追求するのを止めたという動きである。英国はEUに入って来る移民に職を奪われると反感を募らせて、EUを脱退した。“原住民” が、昔の良き時代に戻りたいと決起したと言えるだろう。
 ドイツ人はナチスのホロコーストを償いたいと思うせいか、年間100万人もの中東移民を受け入れる。受け入れられた移民はシェンゲン協定によってEU28ヵ国のどこにでも移住できる。ドイツは社会の規律が厳し過ぎるせいか、移民はフランスやイギリスに移住したがる。フランスに移住した移民は「ドイツは病院のように綺麗すぎる」と言ったものだ。どんな自由も許されるというEUの理想がアダになっているのだが、どの国も軍隊のような厳しい社会を作りたい訳ではない。移民受け入れについてドイツが寛容すぎると非難している訳でもない。