1. 押しつけ憲法論否定としての幣原発案説
私は現在、1984(昭和59)年から翌々86年にかけて、連合国総司令部(GHQ)で日本国憲法の原案たる『マッカーサー草案』を起草した8人を含め、1946(昭和21)年当時、日本国憲法の作成に何らかの形で関わった日米両国の40数人の人たちへのインタビューを整理、編纂作業に注力している。
これらのインタビューの内容については、いくつかの拙著で部分的に取り上げたが、この際、全体をインタビュー形式で残そうということを試みている。インタビューに応じていただいた人たちは、全て他界されており、改めて録音を聞き直してみると、新たに知見することも多く、『証言でつづる日本国憲法の成立経緯』(仮題)を何とか刊行したいと考えている次第である。
ところで、最近、第9条の発案をめぐり、護憲勢力から当時の首相、幣原喜重郎発案説がしきりに流されるようになってきている。第9条は幣原が発案したもので、それゆえ「憲法押しつけ論」は当たらないというのがその趣旨である。
例えば、東京新聞(2016年8月12日付)は、1面のトップ記事に「『9条は幣原首相が提案』、『押しつけ憲法』否定新史料」という見出しのもとに、堀尾輝久・東大名誉教授が見つけたという史料を紹介している。この史料には、内閣に設置された憲法調査会会長の高柳賢三がマッカーサーへ送付した質問状に対する1958年12月15日付のマッカーサーからの返信を掲げ、「戦争放棄を禁止する条項を憲法に入れるようにという提案は、幣原首相が行ったのです」の部分を抽出し、幣原発案説が明らかだというのである。
しかし、この史料は「新史料」でも何でもない。既に53年も前の1964年7月発行の憲法調査会『憲法制定の経過に関する小委員会報告書』(335~336頁)に、ほぼ同内容の記述がある。
また、今年8月5日にTBSの報道特集「戦争と憲法」で、「羽室メモ」なるものが紹介された。この羽室メモというのは、幣原と親交のあった大おおだいらこまつち平駒鎚・元枢密顧問官が娘の三みち千子(後に羽室氏と結婚、「羽室ミチ子メモ」とも呼ばれる)に幣原との談話を語った記録である。実は、大平が46年4月頃、三千子に話していたのだが、同メモを紛失したため、55年に大平が当時の記憶を辿り、もう一度、ミチ子に語り直し、ミチ子が大学ノートにメモをした。報道特集では、この大学ノートが映し出された。同ノートには、次の記述がある。