東亜の大戦乱に太平洋問題調査会が 果たした役割について

.

政策提言委員・高知大学名誉教授 福地 惇

Ⅰ 我々は世界史を抜本的に見直さなければならない
 本講座の主題は、近現代史の通説(歴史認識)を覆すことである。どうしてそんな異様なことをするのかと善良でお人好しの多くの日本人は訝しがる。だが、理由は簡単だ。多くの人々の常識の歴史は公的教育やメディアが発信した「公認の歴史」であるが、それが明らかに「欺瞞の歴史」だからである。「公認の歴史」とは、欧米の著名な大学や影響力のある歴史学者たちが創り出した歴史像が土台になっていることが多い。それは多くの国々の歴史学界や歴史教育界における通説となり、常時メディアによって振り撒かれ、多くの人々の脳裏に定着させられた。これが実は大問題なのだ。本講座で展開してきた筆者の論説は、この大問題への挑戦という意図で一貫している。
 さて、第一次世界大戦直後のベルサイユ講和会議とワシントン会議以後、満洲事変から支那事変、そして大東亜戦争(日米・日支戦争)という大きな戦争史の流れとは一体何であったのだろうか。現在の国際社会における歴史常識では、日本は戦争犯罪国家だったということになっている。そして、あの大戦争の名称だった「大東亜戦争」は禁止用語とされ、戦勝国が名付けた「太平洋戦争」が世界の常識に定着している。
 日本が悪者だったという理由は、1921(大正10)年の国際会議で成立したワシントン体制は、日本も参加して作られた国際平和維持の国際法的基本枠組なのに、大日本帝国はあっという間に約束を踏み躙ってシナ大陸への侵略戦争を展開したので許せないと言うのだ。従って、第二次世界大戦に際しては平和を愛する諸国連合=「連合国」(英米蘇支その他の小国)は断固として立ち上がり、ルール違反の日独伊三国枢軸の侵略国家を懲らしめた「正義の戦争」だったという訳だ。この「連合国」という勝者が自己評定した歴史像が20 世紀後半以後の世界の通説なのである。戦勝国が新しい歴史を書くことは世の常だが、それが事実ならばそれは良いが、果たして彼らは正義の勢力だったのだろうか。そこが実は重要な問題ではないだろうか。
 そもそも、1920 年代のワシントン体制とは何だったか。英米仏の国際社会における既得権益(過酷な植民地支配や地下資源の権益確保)を維持しながら、新興国日本の発展を抑え込むことが主目的であり、大戦中に成立した世界初の共産主義国家ソ連の行動には極力寛大な体制だった。日本を除外した欧米先進列強の植民地支配既得権益維持と新興の共産主義勢力の蔓延に寛大な国際体制こそがワシントン体制の実態だったのだ。