「55年体制」崩壊後、立ち位置を確立できない野党の混迷

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政策提言委員・元参議院議員 筆坂秀世

 昨年(2017年)10月の衆院選挙で自民党が比例で獲得したのは、1,855万票だった。他方野党は、立憲民主党が1,108万票、希望の党が968万票で合わせると2,076万票となり、自民党を上回る票を獲得していた。自民党、公明党、日本のこころの与党合計でも2,561万票なのに対して、立民、希望、共産党、社民党票を合算すると2,610万票となり、やはり野党が与党を上回ることになる。
 野党が四分五裂していたことが、自民党に大勝をもたらしたことは、この票を見ても歴然としている。小池百合子氏率いる希望の党も、一時は“柳の下に二匹目の泥鰌がいる” と思わせたが、やはりいなかった。この失敗は、果たして小池氏一人の責任なのだろうか。私には、野党の現状が招いた必然の結果に思えてならない。

かつては「保革対決」が日本の政治構造だった
 第二次世界大戦後、世界は資本主義・自由主義陣営と社会主義・共産主義陣営が対決する冷戦と呼ばれる体制下にあった。資本主義陣営を代表するのがアメリカであり、社会主義陣営を代表するのがソ連であった。米ソ冷戦とか、東西冷戦と呼ばれた。
 敗戦国であった日本はサンフランシスコ講和条約の調印により、1952(昭和27)年に独立を回復した。この3年後、1955(昭和30)年に講和条約の調印などを巡って左右に分裂していた社会党が合同を果たし、日本社会党が結党された。これに危機感を持った財界などの働きかけにより、日本民主党と自由党による「保守合同」が実現し、現在の自由民主党が結党された。所謂「55年体制」の確立である。
 これは米ソ対決の冷静構造を日本の政治にそっくり反映させたものであった。アメリカ・資本主義自由主義陣営が自民党、ソ連・社会主義陣営が日本社会党である。
 当時の「自民党立党宣言」には、「暴力と破壊、革命と独裁を政治手段とするすべての勢力又は思想をあくまで排撃する」「権力による専制と階級主義に反対する」とある。また「党の使命」には、「わが党は、自由、人権、民主主義、議会政治の擁護を根本の理念とし、独裁を企図する共産主義勢力、階級社会主義勢力と徹底的に闘う」と述べられている。
 資本主義・自由主義体制擁護、反ソ連、反社会主義・共産主義のために結党されたのが自民党であった。
 当時、社会党や日本共産党は革新勢力と呼ばれ、保守対革新の「保革対決」と呼ばれたものである。