明治維新150 年に想う

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会長・政治評論家 屋山太郎

歴史嫌いだった理由
 30歳の頃まで、異常な歴史嫌いだった。嫌いになったのにはそれなりの理由がある。
 1945(昭和20)年、終戦の時、私は旧制東京府立中学の1年生だった。当然、軍国少年で、翌年には陸軍幼年学校の試験を受けようと思っていたから、新しい中学の歴史教科書に飛びついて真剣に読んだ。当時、日本史を「国史」と呼んでいたと思うが、その国史を丸暗記するが如く頭に詰め込んだものだ。その直後の5月25日に米軍の東京最期の大空襲があり、家も焼かれ、家族も散り散りになった。父は大火傷で病院に収容されたため、私は2ヵ月間、父の付き添いで病院暮らしをした。傍らで私が幼年学校入試の勉強をしているのを察して、父は「オイ、人殺しは大学を出てからだってできるじゃないか」と言う。私は内心「国賊だ」と怒ったが、その直後の終戦で、親父と息子の対立は消えた。
 終戦時まで病院に付き合ったあと、私は居場所がなく、長野県の小諸に引っ越し、次に父の友人の家を頼って、長野、鹿児島へと転々とした。その間に学制改革があって新制中学に切り換わったのだが、国の教科書印刷が間に合わなかった。そこで旧制で使った教科書の“適切” でない部分を墨で塗って配布した。私は学校を転校したせいか、手元に“旧制” の墨なしの教科書が残った。
 長野中学(のち長野北高)に通っていた頃には友達は一人もいないし、焼け出されたから教科書以外の本もない。することがないから、古い教科書を読みつつ、新制では何を消したかを見比べたものである。
 新しい民主主義の時代が始まると言う。昔は軍国主義の酷い時代だったと教え込まれるわけだから、頭の中は二重の価値で混乱を極めた。父親が来た時、民主主義の話をすると「そんなものは、我々は大正時代に経験済みだよ。アメリカ人が偉そうなことを言うな」と怒っている。
 新しい時代が来た。価値観が転換した。それも悪い道ではなさそうだが、僅か12歳の少年にとって、それまでに経験した日本が全部悪いとは思えない。アメリカ人がインチキを教えるために、優れた日本の価値観を捨てさせようとしているのか。どちらが正しいのか、そう考えているうちに、軍国日本もアメリカも、どちらも信用しない方が良いと思うようになった。こうして国史や社会科の類いには一切首を突っ込まない生き方を覚えた。いずれ大人になって、自分で真贋を見破るしかないと決めた。
 大学の入試は日本史があるから、そこは年表をひたすら丸暗記してくぐり抜けた。私に人生の転機が訪れたのは時事通信社に入社して、ローマに赴任した時からである。