明治150年と呼ばれる19世紀後半から今日に至るまでの時代は、我が国にとっては明治維新の近代国家建設開始から始まって20世紀の1930年代まで、所謂帝国主義時代において西洋列強に対する生き残りをかけ、次いでこれら列強と肩を並べるまでに帝国として発展した歴史であった。だが、その後国内外の種々の要因が複雑に絡まって遂には大東亜戦争に至り、歴史始まって以来の大戦争において未曽有の大敗北を喫することになった。
その結果、我が国は米国ほかの戦勝国から全国土を占領されるのみならず国の在り様、即ち国体の変革と特に1930年代以降の自国史の解釈の根本的転換即ち連合国史観の受け入れを、東京裁判を通じて迫られ、所謂戦後レジームの下での国家と国民の再建しか許されなくなり、戦後の東西対立の中においてこれが功を奏し今日の世界第3 位の経済大国に至っている。
しかし、21世紀に入った今、今後とも戦勝国史観に沿って1930年代以降の自国史を糾弾し続け、戦勝国の当時の目標(日本を徹底的に弱体化させる)であった9条という非常識(ごまかし)かつ独善的な憲法に象徴される戦後レジームを護り維持し続けることが良いのかとの声が高まってきている。
同じく第二次大戦で根本的な変革を味わったヨーロッパではどうかと目を向けると、大戦はソ連をも含む民主主義連合国対独伊日の侵略的枢軸国という形で戦われたとされ、前者が全面的かつ最終的に勝利した正義の戦争であったとの戦勝国史観が確立されている。戦勝国はその後米国を中心とする西側自由主義諸国とソ連を中心とする東側共産主義諸国とに分裂したが、第二次大戦に関する見方においては東西の連合国は冷戦にも関わらず概ね共通の戦勝国史観を維持していると言える。
特に大戦を始めたナチスドイツの戦争中の行為特にホロコストの歴史については何ら弁明の余地がないため、我が国におけるような戦後レジームの見直しといった動きは見られない。但し、そのような全般的歴史認識の中であっても、複雑な歴史を経験した中東欧の旧共産主義国においては本稿で取り上げるスロバキアのほかポーランド、ハンガリー、チェコといった国々でも一部において、従来の通説的な自国史の特定部分の認識に対しある種の疑念ないし修正を主張する声が上がっているように見受けられる。スロバキアの場合も、東西冷戦中は、共産主義チェコスロバキア史観が支配的であったが、東西の冷戦が終結し共産政権が消滅して初めて、思想、言論の自由が認められ自由に自国史を振り返ることができるようになった。