北朝鮮の苦悩が見える軍創建70周年記念日と平昌オリンピック

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政策提言委員・軍事/情報戦略研究所長 西村金一

まえがき
 北朝鮮がGDPの約23%を投入している軍の創建記念日であれば、70周年という大きな節目の年でもあり、盛大に挙行されて当然のことである。ところが、米国に届くICBM「火星15号」・「火星14号」などの弾道ミサイルを見せつける一方で、驚くほどこじんまりした規模であった。私としては拍子抜けした感があった。軍創建記念日は、1978年から昨年まで4月25日だった。それが、今年は、平昌オリンピック開会式前日の2月8日に変更された。偶然か、それともその日を狙って実施されたのか。小規模だった理由は、韓国平昌オリンピックを刺激しないという配慮があったからだとの評価もある。だが、私には、疑惑の多い特殊な閲兵式(軍事パレード)だと感じる。パレードには、実は、重大な戦略的な意図が隠されており、そこを注視して分析すると北朝鮮の意図や実態が見えてくるからだ。
 閲兵式の日が変更された理由やその狙い、実態についての一つ一つの疑問を解明していくために、①記念日が平昌オリンピックの開会式の前日に変更された理由、②パレードが実況中継されなかったこと、世界のマスメディアを国内に入れなかった理由、③パレードに登場する兵器の狙い、登場しなかった兵器の理由、④観閲台に並び立つ要人から想像できること、⑤その他、気になる事項について分析し、解明する。

1.記念日が平昌オリンピック開会式の前日に変更された理由
 北朝鮮の軍創建記念日は、1948年に正規軍として「朝鮮人民軍」が創設され、2月8日とされていたが、1978年、故金日成主席が1932年に満州で「朝鮮人民革命軍」(抗日遊撃隊)を組織した4月25日に変更された。今年になって、朝鮮労働党中央委員会政治局は2月8日を「朝鮮人民軍創建日」とし、これまでの記念日だった4月25日を「朝鮮人民革命軍創建日」とすることに決定した。つまり、1977年以前の記念日に戻されただけのことだ。
 記念の日付だけを命令で変更することは容易なことだが、軍部隊にしてみれば、1年間の全てのスケジュールに影響を与えることと、パレード参加の準備をしなければならないので容易なことではない。例えば、兵器を美しく見せるためのペンキの塗り替えだけでも数週間かかるし、隊列をきちんと組んで、縦列は縦列で、横列は横列で一直線になって整然と歩く訓練は、1ヵ月近くかかる。パレード計画の作成、参加部隊との調整、パレードに参加する兵士の新品の戦闘服や個人装備火器の準備、その他の準備でも短くても数ヵ月はかかる。