明治150年と靖国神社

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現代史家 秦 郁彦

 本日は「明治150年と靖国神社」という「厳粛」なテーマでお話したいと思います。
 お手元に配られましたレジュメの7~9ページにわたって私の資料があります。資料には後ほど言及するかと思いますが、中身は私がご説明しなくても読めば分かるということかも知れません。
 今朝の出がけにテレビから財務省次官が女性記者にセクハラ的言動を繰り返す音声が流れていました。財務省はこんなに劣化しているのかと残念に思うと同時に、明治維新志士たちの「お行儀ぶり」を思い出しました。つまり革命というのは下層の勢力が貴族階級などの上層階級に対して反乱を起こす訳ですが、勝つためには何でもやるんだということで、往々にして革命戦争というのは皆殺し風になってしまいます。そういう点から見ますと、明治維新は(革命と呼んでいいのか色々な議論はありますが)、流された血の量はフランス革命やロシア革命に比べ非常に少ないのです。その理由は色々あります。今年は「明治150年」にちなみ、あちこちで様々なイベントが開催されているようですが、どうも不協和音と言いますか、あまり盛り上がっていないという感じを受けます。それは何故でしょうか。キーワードとして“官軍と賊軍” という部分に焦点を当ててみたいと思います。

官軍と賊軍
 当時、賊軍とされた徳川幕府や会津藩を率いていたのは、儒学をきちんと勉強し、厳しいトレーニングを受け、武士道を重んじる教育を受けてきた上級武士たちでした。 
 それに対し官軍の主力は、下級武士です。「武士」とはどこまでを指すのかという議論がありますが、足軽などは「武士」とは言え、最下級の武士です。上級武士から見ると、普段は目通りも叶わないような連中が官軍の主力として幕府を倒し、明治維新を実現し、新たな支配層になった訳です。従って、賊軍とされて敗れた上級武士たちの間には、納得のいかないモヤモヤとした違和感と、押し殺されたままの感情がずっと流れていたようだと、私は観察しております。
 政府が旗振り役をやっている「明治維新150年」というのは、明治と改元した明治元年(1868年)の9月8日(新暦の10月23日)からですが、翌年(1869年)まで引き延ばしてもいいかも知れません。それに対して、会津を中心とする東北の人達は意識的に「戊辰戦争150年」という呼び方をしていますし、京都では「大政奉還150 年」と言っているそうです。他にもう少し探してみると、丁度150年になるものが色々あります。