長らく永田町で国会議員の政策スタッフをしておりましたが、一昨年、評論家として独立し、昨年の夏にPHPから『コミンテルンの謀略と日本の敗戦』を出版しました。秦先生がおられますので敢えて申しますが、私は、所謂コミンテルンにすべての戦争責任を押し付けるコミンテルン謀略論には反対の立場です。この本では、戦前の日本に対してコミンテルンによる工作はあった。しかし、戦前の日本が無迷走したのは日本の自滅であり、日本側自身が政策判断を間違え続けたことが日本をおかしくしてしまった、ということを指摘しました。
「進歩主義」「社会主義」勃興の国際社会の中で、日本は近代化を開始
では日本は何をどう間違えたのか。主に「共産主義」という問題をどう考えたらいいのかということも含めてお話したいと思います。
平川先生からもお話がありましたが、日本は明治維新以降、「和魂洋才」といってヨーロッパに追いつけ追い越せと一生懸命欧米の勉強をし、思想を取り入れた訳です。
その時の欧米、とりわけヨーロッパはどういう状況であったのか。簡単に言いますと、帝国主義と資本主義の全盛時代であったのですが、同時に社会主義やプログレッシブ(進歩主義)の時代であったとも言えます。
この進歩主義はフランスの思想家、哲学者のジャンジャック・ルソー(1712~1778)の流れを組む思想です。また、明治維新の4年前にカール・マルクス(1818~1883)が第一インターナショナルという社会主義者のネットワークを作って、社会主義が急速に広まっていく時代でもあります。
日本は当時、ヨーロッパの思想を積極的に取り入れることが日本を良くすることだと思っていた訳ですが、ヨーロッパで流行していたのは、進歩主義や社会主義であったのです。そこに、時代の悲劇があると私は思います。
1889年の帝国憲法制定と共産主義
明治維新後、自由民権運動が起こります。これは五箇条の御誓文の「廣ク會議ヲ興シ萬機公論ニ決スヘシ」、つまり、政治を行うに際しては、社会的地位や身分、出身地などで差別することなく、広くみんなの意見を聞くという国是に基づいた政治運動でした。
明治政府は、広く会議を起こし、多くの人々の意見を踏まえて政治を行おうとしたのですが、実際は明治維新を主導した薩摩と長州を中心とした人達が政治を行うようになってしまいました。