米朝交渉までの道のり
今年に入って北朝鮮の核問題は新たな展開を見せている。金正恩朝鮮労働党委員長が新年の辞で「平昌オリンピックに代表団を派遣する用意がある」と述べて以来、急速に南北融和が進み、中朝が接近し、そして最終的には6月12日、シンガポールにおける歴史上初めてとなる米朝首脳会談に結実したのである。
北朝鮮が昨年までの強硬姿勢と打って変わって、融和姿勢に転じた背景には、米軍の北朝鮮攻撃が迫っているのではないとの懸念が大きく作用した。加えて、制裁の強化によって北朝鮮の輸出はほぼ全面ストップに近い状況に追い込まれ、北朝鮮の石油の輸入もガソリン等の精製品は9割り方止められ、経済的困窮が深刻化している。
北朝鮮はこれまで核ミサイルを開発し、配備すれば体制が存続できると考えていたが、昨年秋の大陸間弾道ミサイル(ICBM)発射以降、核ミサイルを保有しても体制存続できないと考えたのであろう。
北朝鮮は苦境に陥ると韓国に近付いて来る。韓国の文在寅氏に影響を与えたのは、故盧武鉉元大統領と左翼思想家のリーダー故李泳禧氏であり、北朝鮮を追い詰めず、寧ろ、支援して立ち直らせたいと考えている。文氏は、北朝鮮はまず核凍結し、北朝鮮への支援を続け、最終的に非核化を促すという考えを持っている。これは段階的非核化を主張する北朝鮮にとっては好都合な相手である。金正恩氏は最も御しやすい文在寅氏と手を握ったのである。
南北首脳会談は今年4月27日と5月26日の2回、板門店で開かれた。これはある意味両首脳の親密さ、平和ムードを演出した政治ショーであった。核問題については、板門店宣言で「完全な非核化を通じ、核のない朝鮮半島を実現する共同目標を確認した」だけであり、実質的な進展はなかった。
他方、南北関係については、休戦協定の平和協定転換、南北首脳会談定例化、敵対的行為の全面中止に合意するなど進展があった。2回目の会談は米国が米朝首脳会談の中止を表明し、北朝鮮が韓国に助けを求める形で行われた。
金正恩氏は米朝首脳会談に備え、対米交渉力を高めるために2度中国を訪問し、関係を修復した。1回目は中国に北朝鮮の後ろ盾となることを要請するためであり、米朝会談が決裂した時に備え、対話を継続するよう6 者協議の再開を求めたようである。2回目は米朝の閣僚、実務者レベルの協議が膠着した時であり、中国に段階的非核化、北朝鮮への体制保証について口添えを依頼するためであったと思われる。