反安倍が野党共闘を生み出した
選挙での野党共闘という言葉が盛んに使われるようになったのは、安保法制の成立後である。それまで国会対応で共産党を含む野党が共闘することはあったが、選挙での共闘は問題にもならなかった。
この野党共闘を最初に提起したのが共産党であった。共産党の志位和夫委員長は、安保法制が成立した2015年9月19日に「『戦争法(安保法制)廃止の国民連合政府』を樹立しようではありませんか」と呼びかけ、次のように訴えた。
「来るべき国政選挙――衆議院選挙と参議院選挙で、戦争法廃止を掲げる勢力が多数を占め、連合政府を実現するためには、野党間の選挙協力が不可欠です。
私たちは、これまで、国政選挙で野党間の選挙協力を行うためには、選挙協力の意思とともに、国政上の基本問題での一致が必要となるという態度をとってきました。同時に、昨年の総選挙の沖縄1~4区の小選挙区選挙で行った、『米軍新基地建設反対』を掲げての選挙協力のように、“国民的な大義” が明瞭な場合には、政策的違いがあってもそれを横に置いて、柔軟に対応するということを実行してきました。
いま私たちが直面している、戦争法を廃止し、日本の政治に立憲主義と民主主義をとりもどすという課題は、文字通りの“国民的な大義” をもった課題です。
日本共産党は、『戦争法廃止の国民連合政府』をつくるという“国民的な大義”で一致するすべての野党が、来るべき国政選挙で選挙協力を行うことを心から呼びかけるとともに、その実現のために誠実に力をつくす決意です」
維新の会を除き野党が全て安保法制に反対したというのは、実は稀有なことであった。何故なら日米安保条約や自衛隊について、そもそも根本から反対している共産党や社民党と民主党や小沢一郎氏が率いる生活の党(現自由党)とでは明確な相違があった。民主党や小沢氏らは、日米安保体制も、自衛隊も肯定する立場であった。集団的自衛権についても、民主党は全面的に否定する立場ではなかった。共産、社民と民主、小沢氏とでは180度違う立場だったのだ。
では何故当時の民主党は、共産党と殆ど違いのない対応を安保法制でとったのか。そこにあったのは、強烈な反安倍ということだった。当時の民主党の幹部は、「安倍政権の下では憲法改正の論議はしない」などという発言を臆面もなく繰り返していた。集団的自衛権の一部行使容認に対して是か非か、憲法改正論議の是か非かではなく、反安倍を貫くために、安保法制に強烈に反対したのである。