民主化運動30周年とアウンサン・スー・チーの孤独

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顧問・元ベトナム・ベルギー国駐箚特命全権大使 坂場三男

 去る8月8日、ヤンゴン市内で民主化運動30周年を記念する2つの集会が開催された。1つは「88世代」と呼ばれるかつての民主化指導者グループがヤンゴン大学で開いたものであり、もう1つはヤンゴン市役所前で行われたデモ犠牲者への追悼集会である。しかし、どちらの集会にもアウンサン・スー・チー氏の姿はなかった。
 ミャンマーのアウンサン・スー・チー氏が、「民主運動家」、「政治活動家(国会議員)」を経て、国家最高顧問として事実上の「最高指導者」へと大変身したのは2016年4月のことである。もともと彼女はオックスフォード大学で学んだ学者・研究者であったが、今から30年前の1988年8月、危篤の母を見舞うためにミャンマーに帰国していた折に、反政府運動を展開する学生デモに遭遇、これに共感して「民主運動家」に変身する。この年、国民民主連盟(NLD)の結党に参加し、いきなり議長に就任したのである。その後、長引く軍政の下で彼女らの民主化運動は徹底的に弾圧され、1990年5月の総選挙で大勝するも、軍の拒否にあって政権奪取は叶わず、その後20年以上に亘って断続的に続く自宅軟禁生活が始まる。
 ノーベル平和賞を受賞したのは1991年だが、これによって軍は一層頑なになり、ミャンマー自体も国際的な孤立を深めた。これに転機が訪れたのは、自宅軟禁が解除された後の連邦議会補欠選挙で当選し、多少の紆余曲折を経て国会議員となった2012年5月のことである。その3年半後には再びNLDを指導して総選挙で勝利し、2016年3月に彼女を指導者とする政権を発足させた。軍が定めた憲法の規定によって大統領への就任が叶わなかった彼女は、「共和国国家最高顧問」という新設ポストに就任し、大統領を超える権力を掌握した。ついに事実上の「国家指導者」に上り詰めたのであるが、彼女の本当の苦難はこの時に始まる。
 それから2年半、今、彼女はどのような状況に置かれているのか。73歳にしてミャンマーという統治困難とも言える国家の国政を担うその姿にはますます孤愁が漂い始めているように見える。本稿では祖国に身を捧げようとしている彼女の虚像と実像を追ってみたい。

1、ミャンマー民主化への険しい道のり
 アウンサン・スー・チー氏は、1945年6月、イギリス統治下のビルマの首都ラングーンで生まれた。父親は独立を主導し、後に「建国の英雄」となったアウンサン将軍だが、彼女が2歳の時に、政敵によって暗殺されている。母親のキンチーは看護師出身だが、アウンサン・スー・チー氏が15歳の時に駐インド特命全権大使に就任、彼女もニューデリーの修道会学校を経てデリー大学で学んでいる。