56年ぶりの宴のまえに
― ふたたび迎える東京五輪―

.

国際日本文化研究センター教授 牛村 圭

開会式まで2年を切ったオリンピック東京大会
 2020年の東京五輪を2年後に控えた本年、ジャカルタの地で開催のアジア大会では日本選手の活躍が目立った一方、アマチュアスポーツ界は連鎖の如き未曾有の不祥事に揺れている。女子レスリング、アメリカンフットボール、ボクシング、女子体操、そして男子駅伝のスキャンダルが明るみに出て、厳しい批判が浴びせられている。そこに日本独特の指導スタイルの欠点を見出して文化論、国民性論として論じる向きも見られる。問題を抱えその対応に苦慮するスポーツ界の一方で、五輪開催の日は確実に近付いており開会式まですでに2年を切った。真夏の開催の安全実施、テロリズム防止、そして何よりも残された時間内での最大限の競技力向上、こういう課題を掲げて21世紀の日本は2020年夏へ歩みを進めていかねばならない。
 2年後という近い将来を見すえて当然とるべきアプローチではある。だが、ジャーナリズムは獲得目標のメダル数も含めた未来を見つめることに専心していて、歩みこし過去をほとんど振り返っていないように感じられる。後世、首都東京での2度目のオリンピックを回顧する機会は必ず訪れよう。そしてそのとき昭和開催時の先人たちと同じ「反省」を再び口にすることが少しでもないようにするには、昭和39(1964)年の東京五輪を含めてこれまでの軌跡を顧みて歴史に学ぶことが肝要ではないか。本稿はそのささやかな試みである。

「一身にして二オリンピックを迎える」
 第1回目の近代オリンピックは、古代オリンピック発祥の地ギリシャのアテネに敬意を払い1896年に同地で開催された。2020年の東京大会は通算32回目の大会となる(1916年ベルリン、1940年日本[返上ののちヘルシンキ]、1944年ロンドン、はいずれも中止とされたが、1916年は第6回目というようにオリンピックの歴史に残ってはいる)。
 これまで実際に開催された計28回の夏季オリンピック大会の中で、同一都市で複数回の開催を見たのは、アテネ(1896年、2004年)、パリ(1900年、1924年)、ロンドン(1908年、1948年、2012年)、ロサンジェルス(1932年、1984年)の4例である(パリは2024年、ロサンジェルスは2028年の開催地にそれぞれ内定しているため、いずれロンドンと並ぶ3回目となる)。世界で先例が4つしかない複数回五輪開催都市へ日本の首都が加わるのは栄誉であろう。