敗戦国体制の本質を考える(下)

.

政策提言委員・高知大学名誉教授 福地 惇

Ⅵ 「敗戦革命」へ日本を誘導する「彼ら」の計画
 先に指摘した米国占領軍による日本改革方針だと言われる3R(1、Revenge 2、Reform 3、Revive)をもう少し検討する。その第1の「リベンジ」は、「彼ら」(これまでに使用して来た「世界支配権力」を以後こう表現する)が望む世界の在り方と歴史認識とに深く関係する。「彼ら」に刃向かった日本民族に対する「リベンジ」という理屈だと筆者は思いついた。それを若干解説したい。
 「彼ら」は、自分たちを除いた諸民族の宗教や伝統文化や固有の秩序・慣習を自分たちの目的に整合するように解体する壮大な戦略を古くより推進して来たし、今も盛んにしている。「彼ら」は無上に高い自尊心を持つ、そして薄情且つ狡猾至極な集団であり、まず敵と見定めた安定した秩序を保ち民力豊かな民族や国家の内部解体を工作して来たし、今もしている。ヨーロッパ諸国やアメリカ合衆国は「彼ら」の軍門に下された勢力であり、ロシアも1917年の共産革命で軍門に下された。プーチンはその屈辱を晴らそうと、「彼ら」と対抗していると伝えられるが、現状は闇の中だ。これが世界史の真実だ。
 20世紀前期において東洋の新興勢力となった日本民族に仕掛けたのは、「敗戦革命」戦略である(三田村武夫『大東亜戦争とスターリンの謀略』(自由選書1987年)を見よ)。「日支闘争計画」とは、日支双方をそこに誘導する基本計画である。日本民族と支那民族との不和・紛争を煽り戦争に導き双方を疲弊させて共に敗戦状態に導き、内部から湧きあがる不平不満を共産革命に誘導して、戦う双方の国家主権と秩序を壊滅する戦略である。具体的にはコミンテルン(国際共産党)の東アジア共産化作戦だが、実は英米方面からの攻略計画もあったのだ。
 20世紀の前半期にソ連解体以前のロシアや現在の支那は見事に共産化されたが、日本は上手くいかなかった。マッカーサーのGHQが「敗戦革命」の諸工作展開中(その指導部は民政局)に、米ソ(東西)冷戦が急速に進行した。その流れの中で朝鮮戦争が勃発した。ここでGHQの日本改造方針は日本共産化から急遽「自由陣営の檻の中で飼育する日本」へと転換されたのである。この過程で見落とせないのは、日本人の中に「敗戦革命」に可成り有力な立場で奔走した分子が少なくなかったこと、その分子たちが祖国敗戦後にはGHQに阿り迎合して「敗戦国体制」の構築とこの体制の成長に寄与した事実がある。本稿で扱うには荷が重すぎる。