怨(はん)文化に土下座
天皇在位30年の式典で、「平らけき世」と詠みこんだ美智子皇后の歌が紹介された。その平成の世もあと数十日で終わろうとしているが、最後の半年は「厄介な隣人」としか言いようのない韓国の常軌を逸した「反日」的振る舞いにかき回された感がある。
ざっと並べてみても、「最終的かつ不可逆的に解決」したはずだった慰安婦合意(2015年)の一方的な「破棄」、所謂「徴用工」(正確には戦時労務者)に対する韓国大法院(最高裁)の異常判決、海上自衛隊哨戒機へのレーダー照射事件と続いたが、極めつきは韓国国会議長の「無礼極まる」(河野外相)一連のヘイトスピーチだろう。
知日派と思われていた議長は米通信社のインタビューに応じ、前後の脈絡なしに「戦争犯罪の主犯である退位間近な現天皇が、日本軍の元慰安婦の手をとって、本当に申し訳なかったと謝罪してもらいたい」と発言した。日本政府が謝罪と撤回を要求しても、「謝罪すべきは日本の方だ」「10年前からの持論」「土下座が望ましい」と逆ギレする始末。おまけに10年前、天皇から訪韓の仲介をしてくれと頼まれたと平気で虚言を弄した。文在寅政権の首脳は素知らぬ顔で、議長の非礼を取りつくろおうとする気配もない。
様子を窺っていた北朝鮮は、議長発言に同調し、「日本は永遠にわが民族の前に跪いて謝罪しても許されない」(2月20日付産経新聞)と共闘を呼びかけた。2月末のトランプ・金正恩の第二次トップ会談を見据えて、韓国が対日妥協に流れるのを封じようとする狙いだったのかも知れない。
くだんの議長発言に私が思いを馳せたのは、30年近く慰安婦問題に関わって気付いた朝鮮半島に特有の「恨(はん)」文化と、そこから派生した謝罪や土下座の風儀である。欧米人や日本人だと恨みに永続性は乏しく、1回の謝罪で許してもらえるのが通例で、謝罪と許しはセットになっているが、朝鮮半島は違うようだ。
例えば、朴槿恵大統領は公式の演説で「千年過ぎても消えない怨」¹と宣言したことがある。そうだとすれば謝罪は無用となりそうなものだが、「加害者(の日本)は100回謝罪して当然」と公言した駐日大使がいる。許してもらえないのを承知の上で、謝り続けろという要求なのだろうか。
ともあれ戦後の日本政府は、相手が許してくれるのを予期しつつ反省と謝罪を繰り返してきた。計21回と算出した人もいる。南北朝鮮は今年に入ってからも数回の謝罪要求が伝えられているが、「許す」という反応はまだなく、「土下座しなさい」という声が聞こえてくる。・・・・・・
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1 2013 年3月の3・1独立運動の記念式典における演説。