平成時代が始まった頃、日本の国内総生産(GDP)は中国の4倍以上あった。しかし、平成時代が終わる今、日本の国内総生産(GDP)は中国の半分以下になった。1990 年、雑誌に「新中国脅威論」を発表し、中国は近い将来日本にとって深刻な軍事的脅威になると警告した時、経済力が日本の4分の1しかない中国が日本に追いつくには百年掛かると多くの人に批判された。各種の世論調査によると、現在の日本では約7 割の人が中国は脅威であると答えているが、30年前の日本では、中国が脅威であると考える日本人は数パーセント程度であった。
しかし、今、中国の経済力も軍事力も日本の2倍以上である。平成の時代に日本と中国の国力は逆転した(パワーシフト)。パワーシフトが発生した時に国家間の関係は不安定になる。現在の中国は日本の脅威であるだけではなく、世界の民主主義にとって脅威になっている。30年前に多くの日本人が想像できなかった世界が目の前に現れたのである。中国の影が日本を圧倒している今、日本が生き残るためには、もう一度日中関係の基本構造を見直す必要がある時代になった。
歴史的日中関係
19世紀に至るまで東アジアの国際関係を支配していたのは、中華帝国と周辺諸国との朝貢・冊封関係であった。中国はアジアの歴史を通じて世界的な超大国であり、軍事的、経済的、そして何よりも文化的にアジアの周辺国を圧倒してきた。軍事的に急成長した周辺諸国が一時的に中国を征服することがあっても、結局は中国文化の大海に呑み込まれ、東アジアにおける中国の地位が大きく揺らぐことはなかった。
19世紀以前の日中関係は中国が圧倒的に優位であり、日本は中国の東の海に浮かぶ小さな島に過ぎなかった。中国と日本は中華と東夷の関係であり、圧倒的に力の差があり、日本が中国に反抗する余地は無く、覇者がその他の国を支配する覇権安定論の世界であった。19世紀以前の日本の知識人は、日本は文明の中心である中国から遠く離れた文化の遅れた辺境の小国であるという劣等感に支配されていた。幕末になって日本を巡る国際環境が緊張した時、林子平が恐れたのは、欧米列強による侵略よりも、近代軍事技術を採用して軍事力を強化した中国が、日本に侵攻してくる可能性であった。また、勝海舟、佐藤信淵、平野國臣など一部の幕末の知識人は、欧米列強の圧力に対抗するために、歴史的に東アジアの覇者であった中国に頼るべきであると主張した。