ジャーナリストから見た「平成」

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産経新聞客員論説委員 千野境子

元号と西暦のタッグ
 新聞社の外信部で仕事をしてきたため、元号より西暦を使い、西暦で考える場合が多かった。ベトナム戦争でアメリカが北爆を開始した年月と言えば1965年2月だし、サイゴン陥落により戦争が終ったのは75年4月、ベルリンの壁が崩壊したのは89年11月―といった具合で、昭和や平成にいちいち置き換えるようなことはなかった。
 しかしそれなら元号は不要かと言えば、そんなことはない。元号は特別にして西暦とともに阿吽の呼吸でタッグを組み、日本と日本人に影響を与えて来たし、これからも与え続けるのだと思う。それは日本(人)が元号と西暦というふたつの尺度ないしは視点を持っているということでもあり、これはやはり僥倖と言ってもよいのではないだろうか。
 私は昭和の御代の始まり(1926年)のことは生まれる以前なので実感がないが、平成の御代の始まりについて考えるとその思いを一段と強くする。

世界史的節目ともなった平成元年
 平成は昭和天皇の崩御の翌日である1989年1月8日から始まった。小渕恵三官房長官が額に入った「平成」を掲げながら新元号を発表したシーンは、恐らく殆どの国民の瞼に焼き付いていることだろう。平成とは中国の史記から「内平らかに外成る」であると、その時知った人も少なくないに違いない。
 けれど平成は皮肉なことに必ずしも平らかには始まらなかった。特に日米関係は、改元から間もなく就任したブッシュ大統領(父)が大喪の礼(2月24日)への参列も兼ねて日本を初の外国訪問先に選ぶなど良好なスタートを切ったかに見えたが、実際には波高しであった。次期支援戦闘機FSXの共同開発問題や日米構造協議(SII)など日米経済摩擦が浮上し、ジャパン・バッシング(日本叩き)の言葉とともに一連の日本警戒の書―『日米逆転』(プレストウィッツ)『日本封じ込め』(ファローズ)『日本/ 権力構造の謎』(ウォルフレン)など―が出版界を賑わせたのは平成元年から同2 年にかけてのことである。
 7月、自民党は4月に導入された消費税やリクルート事件が災いして参議院選挙に大敗し、平成5年には結党から初めて政権党の座を失い55年体制は終焉した。日経平均株価は平成元年12月29日に史上最高値の3万8,957円を付けた後は、年が明けると暴落に転じ、バブル崩壊は目前だった。このように政治、経済、外交…いずれを見ても、平成は内平らかとはほど遠い状況で始まったのだった。
 世界を見れば、平成元年の1989年は更に平穏ではなかった。