平成の日韓関係と新世代の登場

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首都大学東京名誉教授 鄭 大均

変化する韓国観
 戦後から平成に至る戦後日本人の韓国に対する関心や態度の変遷を辿りながら、「嫌韓」の時代が到来するに至る日本側の経緯を整理し、編集者から与えられた平成の時代を振り返る課題に応えたい。戦後日本人の隣国に対する関心や態度の動きを時期区分すると、次の5期を想定できるだろう。

第1期 無関心の時代(1945~65年)
第2期 反韓キャンペーンの時代(1965~82年)
第3期 罪悪感の時代(1982~2003年)
第4期 韓流ブームの時代(2003~2012年)
第5期 嫌韓の時代(2012年~現在)

 若干の説明を加えたい。上記の時期区分は、それぞれの時代にどのような関心や態度が突出しているかを示唆するもので、それぞれの時代の関心・態度は他の時代にも生きている。例えば「韓流ブームの時代」には他のどの時代より韓国への称賛が語られることが多かった。しかし同時期のウェブの世界に目を遣ると、そこには「嫌韓の時代」の言葉が既に溢れていて、それはいつ臨界点に達してもおかしくない状況にあった。
 つまり、ある時代から次の時代への移行は判で押したように画一的な変化を意味するものではない。しかし、それが新しい時代を形成するためには新たな関心・態度が自明になるための熟成期間が必要であろう。例えば「嫌韓の時代」の起点となる2012年は日本人がテレビの画面を通して竹島に上陸した韓国大統領や、ロンドン五輪のサッカー競技場で「独島はわれらの領土」のボードを頭上に掲げて走る韓国人選手の姿を目にし、自国の尊厳が傷つけられていることに気が付き、反発や怒りを覚えた年である。しかし単発の出来事や事件が新しい時代を作り出すわけではない。それが本物で自明の感情になるためには、それを再確認する過程が必要で、この時には李明博を継ぐ朴槿惠大統領がそれをしてくれた。つまり就任当初は日本人に品格ある韓国人の印象を与えていた朴槿惠であるが、2013年の3・1節で「加害者と被害者という歴史的立場は、千年の歴史が過ぎても変わらない」と発言したかと思うと、同年5月7日のオバマ米大統領との米韓首脳会談では「北東アジア地域の平和のためには日本が正しい歴史認識をもつべき」と発言、更に6月28日の習近平中国主席との昼食会では安重根の記念碑設立の提案をするという具合で、その執拗な反日があってこそ日本人の「嫌韓」は本物で自明のものになったのである。・・・・・・