「昭和」から「平成」へ
昭和64年1月7日、昭和天皇が崩御され「平成」の御代が始まった。そして4月30日で「平成」の御代は静かに幕を閉じようとしている。「平成」の御代はいかなる時代だったのか。ここでは安全保障の観点から、「平成」の御代を振り返り、次の御代での課題を考えてみたい。
「平成」が始まったばかりの6月、中国では天安門事件が発生し、11月にはベルリンの壁が崩壊した。12月、40数年にわたり第二次世界大戦後の世界を二分した冷戦がマルタ島での米ソ首脳会談で終焉した。「平成」は冷戦終焉と共にやってきたと言える。
冷戦が終焉し、これで平和な時代がやって来ると誰もが確信した。自由と民主主義が勝利した高揚感もあり、フランシス・フクヤマ(米国の政治学者1952~)が書いた『歴史の終わり』は大ベストセラーになった。だが、予想は見事に裏切られた。
平成2年8月2日、イラク軍が突如クウェートに侵攻した。冷戦が終わり、自由主義陣営が勝利に酔いしれている時、明らかな侵略行為をイラクが行ったのだ。国際社会はこれへの対処が冷戦後の世界新秩序構築の試金石と捉え、素早く対応した。即時無条件撤退を求める国連安保理決議を採択し、経済制裁のみならず、米国を中心とする多国籍軍にイラク軍撃退の武力行使権限を与えた。
日本の国際平和協力活動
日本は米国からの協力要請に対し、右往左往するばかりで国会は空転した。自衛隊を後方支援に派遣する「国際平和協力法案」が提出されたが、合意が得られず廃案となった。人を派遣する代わりに、日本政府は130億ドルの資金を差し出した。国際社会と共に「汗を流す」ことを拒否した格好となった。
人的貢献を拒否し、金で解決しようとする日本の姿勢を、国際社会は「小切手外交」と揶揄し、米国は「身勝手」「自由と民主主義の価値観を共有しない」と怒り、もはや「同盟国とは見なさない」と日本を突き放した。戦争終結後、クウェート政府が大手新聞に、湾岸戦争に協力した国への「感謝広告」を載せたが、そこに「日の丸」はなかった。
慌てた政府は翌年4月、海上自衛隊の掃海艇など6隻をペルシャ湾へ派遣した。自衛隊法の「機雷等の除去」を根拠に派遣したものであり、自衛隊にとって初の海外実任務となった。
ペルシャ湾では、平成3年2月末の戦闘停止直後から、8ヵ国が掃海作業に従事していた。6月6日以降、7月20日までに海自部隊は17個の機雷を処分した。・・・・・・