平成に安んずるなかれ

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JFSS顧問・東京大学名誉教授 平川祐弘

共産主義の没落
 私の本日のテーマは、平成時代の総括であります。気が付くのは何かと言いますと、平成の日本は、軍事災害は被らなかったが自然災害には襲われた。しかし、人為的攻撃は余り浴びなかった。そのことが何よりだったが、30年間を国内だけを見て論じるというのは愚かしいことであり、そういう内向きの姿勢は良くありません。国際場裏に日本を考えたいと思います。
 昭和と比べると、平成はそのように平静で一見いかにも穏やかな歳月だった。しかし、昭和と平成のどちらが偉大な時代だったかというと、私は昭和のように一度敗れた国が経済大国として復活した、これは世界の歴史の中で輝かしいよみがえりの時代だったのではないかと思います。
 何故平成が穏やかだったかと言いますと、元年に当たる1989年、春に中国で天安門事件が起き、秋にベルリンの壁が崩壊した。ソ連や中国を中心とした社会主義諸国が没落したことで、日本に対する軍事的脅威のみか、思想的脅威も弱まった。世界はそれで、資本主義陣営の勝利と受け止めましたが、私はそれよりも自由の勝利と感じて、嬉しかった。それで私は精神の緊張が弛んだことを記憶しています。
 日本国民の中で共産党一党支配の悪(あく)を感じていた人も多いと思いますが、報道がきちんとされなかったせいか、それとも日本人が鈍感だったせいか、他の国に比べて日本では階級政党が没落するのにタイムラグがありました。今、世界の他の国で、東ヨーロッパなどで共産党などと、あまり大きな顔をして名乗っている国はもはやない訳であります。
 かつてソ連にいた頃、密告で無実の罪で同志を死に追いやったことが判明したとして、日本共産党の最高幹部であった野坂参三さんが1992(平成4)年、100歳の年で党から追放処分されました。私は当時北京で教えておりまして、人民日報の紙上で知った訳ですが、さすがに中国側の報道にも驚きの色が見えました。しかし、共産圏というのは、人を先に密告せねば自分が逆に粛清されるシステムでありました。その正体が露呈されたにも拘わらず、他国と違い、日本で共産党は未だ解党もせず、改名もせず、存続している。
 日本共産党は、2004(平成16)年になって、マルクス、レーニン、宮本顕治を追放とまではいかないが、彼らの本の独習指定を漸く廃止しました。かつて、党学校では、党員にこれらの指定文献を勉学させ、それを基に講師資格試験を実施していました。