米国の対中政策/戦略の転換点は?
―リバランシング政策からインド太平洋戦略へ―

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JFSS政策提言委員・元海自佐世保地方総監(元海将) 吉田正紀

 ワシントンD.C. に赴任して早いもので4年が過ぎた。退官後の第2の人生の地にD.C.を選び、夫婦でネットワーキングを徐々に拡大しながら、「日米間の認識ギャップの縮小に努める-同盟のガーデニング-」を生業としてきた。そもそも、この仕事を選んだきっかけとなったのは、自衛官時代の最後の任地となった、佐世保地方総監時代に経験した日米の対中認識のギャップであった。
 佐世保総監当時(2012年春~14年春)、「我が国政府による尖閣3 島の所有権の取得・保有」(2012年9月)以降、著しく増加した中国公船の領海侵入、中国海軍及び空軍の活動の活発化等に、西方、南西諸島地区の陸・空自衛隊指揮官及び海上保安庁管区指揮官と共に対峙した。この間、多くの米軍高官、シンクタンカーがD.C.から佐世保を訪れ、求めに応じブリーフィング等を実施したが、このHot-Areaに対するD.C.の状況認識(D.C.View)には、本当に驚かされた。
 特に、2013年1月の中国艦艇による海自艦艇への射撃レーダー照射事案後の同年夏、旧知の日米関係研究者が来訪した際に「尖閣を巡る問題では、米国の関心は尖閣諸島の領有権がどちらの国に属するかではなく、この地域の安定であり、日中双方(等分)に衝突の危険性がある」と分析し、更に、D.C.では多くの有識者が「今回のエスカレーションの否は日本側にあると認識している」と言われた事は、当時、中国側の意図や動静を正確に把握し、このエリアは緊張はしているが決して緊迫はしておらず、コントローラブルであると認識し、沖縄県知事を表敬した際にも、尖閣周辺の状況を心配される仲井眞知事(当時)にも「高め安定」と比喩的に話していた私にとって、些かショッキングな出来事であり、現在の仕事を志す大きな動機となった。
 あれから5年余、オバマ政権からトランプ政権へと変わり、昨今は「米中新冷戦」とも呼称される米中関係の到来、就中、米国の政治、外交、経済、軍事全てを包含した「Whole of Government(トランプ政権全体)」な取組みに留まらず、「Whole of the U.S(米国全体)」とも表現される中国に対する厳しい姿勢への転換は、当時、正直予想だにしなかった。一般的にはこの急激な変化は、トランプ政権の誕生に伴うもので、中国側も(実は)困惑しているとの分析がなされているようであるが、DCで定点観測している私には、もう少し早い段階からの変化を認識している。
 折しも、締め切り直前の本稿をD.C.で執筆していた5月31日~6月2日まで「シャングリラ会合」がシンガポールで開催され、米国は新たなインド太平洋戦略を発表した。