日本と台湾に迫り来る中国の脅威
―チベットとウイグルから学ぶべきこと―

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政策提言委員・拓殖大学国際日本文化研究所教授 ペマ・ギャルポ

節目を迎えて
 今年(2019年)は所謂「中華人民共和国」が誕生してから70年、その「中華人民共和国」によるチベット侵攻に対してチベット人が決起しダライ・ラマ法王がインドに亡命から60年、さらに自由と民主化を求める自国の若者たちを武力弾圧した天安門事件から30年である。その節目に当たり、日本でも様々な集会が行われている。
 過日、東京都内でチベット人と同じく中国共産党による圧政下で苦しんでいる同胞たるウイグル人、モンゴル人が集まり、「中華人民共和国」の不当な植民地支配と強権的な人権弾圧に対する抗議のデモが催された。これはチベット動乱60年を記念する催事である。当時、先頭に立って人民解放軍と戦った人々の多くはこの世を去り、その二世たちも高齢となっているため、主催者、そして参加者の大多数は、三世、四世の若者たちだった。
 60年前に犠牲となった先人たちの遺志を引き継ぐ彼らは外国で生まれた人、中には北京政府の完全なる支配下にある「中華人民共和国」で生を受けた人もいる。その勇敢な姿に筆者は胸が熱くなり、非常に心強く感じたのであった。
 そもそも「打倒満」、即ち満州人の王朝である清朝を滅亡させるため「中華思想」なるものを利用したのは孫文であった。その孫文が死去すると、蔣介石と毛沢東が、その「中華思想」を継承する。但し、周辺諸国を侵食し、同化するという趣旨の本質は同じでも、手法には多少の違いがあった。
 1947年に、南モンゴルが「自治区」化され、次いで1955年に東トルキスタンが「自治区」化され、さらに1965年にチベットが「自治区」化された。その手口は実に巧妙で、先ず潜入、次に侵入、続いて甘言と恐喝を使い分けながら相手を騙し、形式的な協定・条約をゴリ押しして、自分たちの正当性を世間に知らしめるというものである。
 イギリスから「中華人民共和国」に返還された香港は1997年に「特別行政区」化された。そのプロセスは、南モンゴル、東トルキスタン、チベットの時と酷似していた。南モンゴル、東トルキスタンはソ連のスターリン、チベットはインドのネルーが間に入った。そして香港はイギリスのサッチャーを見事なまでに操った。「鉄の女」でさえも、その罠を見破ることができなかった。ネルーとサッチャーは後に自分たちの判断を深く悔やみ、「中華人民共和国」を信頼してしまったことが過ちだったと認めている。

危機迫る台湾
 このところ台湾でも、北京政府との間で何らかの協定・条約を結んで、香港と同じ「一国二制度」を設けるべきという主張が聞かれるという。