平成時代の国際政治
―平成の30年を振り返る―

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政策提言委員・拓殖大学海外事情研究所教授 佐藤丙午

「平成」から「令和」へ
 昭和が終わり、元号が平成へと変わった30年前の1989年、世界は深い分断の最終局面にあった。資本主義陣営と社会主義陣営の対立の歴史は、米国とソ連との間に成立した核兵器による相互抑止を背景として、J.L. ギャディスが「長い平和」と呼んだように、奇妙な安定が続いていた。
 勿論、冷戦期の安定の存在は、政治体制をめぐる相互の強烈な不信感と、軍事的な優位をめぐる熾烈な競争を前提としたものであり、そこに安心感は存在しなかった。1989年は、共産主義陣営が内部崩壊を始め、それが中国にも波及して天安門での集会をシンボルとする民主化運動へと発展する等、国際社会が民主主義へと向けて動き出す、「時代の胎動」を感じることができた年であった。奇しくも、2019年は香港で学生を中心とした暴動が発生し、中国政府は再び民主主義の扱いに苦慮している。
 そこから30年経過し、国際社会は令和の時代を迎えた。勿論、令和は日本の元号に過ぎず、国際社会は日本の天皇陛下による「時間の支配」を受けていない、しかし、平成の30年間は、一般的に一世代とされる約30年という区切りと符合する。実際に、冷戦も第二次世界大戦後の動揺期を経て、約30年で国際システムの変貌期を迎えた。冷戦後の世界も、約30年を経て、新たな秩序へと進展を見せつつある。

グローバリゼーションと国際政治
 平成の30年間の国際システムは、民主主義とグローバリゼーションに特徴づけられていた。これは米国の対外政策の目標でもあった。1994年に米国のクリントン政権が「関与と拡大の安全保障戦略」を発表し、民主主義と資本主義の拡大への関与を安全保障戦略として規定した。
 当時は冷戦終焉後の国際秩序の模索期であり、米国の孤立主義的衝動に対する脅威もあり、クリントンの政策が米国の過剰関与につながるのではと危惧されていた。しかし、冷戦後の孤立主義は、国際社会との接点を減らすのではなく、国益に応じて国際社会と選択的にかかわることを意味することが理解され、寧ろそれは米国の国際的地位を高めるものと歓迎されるようになった。その後のGWブッシュ政権期には、米国は一部より「帝国」と称される存在になったが、民主主義とグローバリゼーションを拡大する政策には大きなブレは見られなかった。
 令和時代を迎え、国際社会ではいくつかの特徴が出現しつつある。その1つが、国家の相対的な衰退であることは疑う余地がない。それぞれの国家は、国民が直面する課題に取り組むべきガバナンス力が欠如し、国際協調が必要不可欠になっている。