令和新時代に歴史意識を考える

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国際日本文化研究センター教授 牛村 圭

明治150年を終えて
 昨年平成30(2018)年は、明治維新から150年という節目の年にあたった。しかしながら、さほど話題となることもなくその年は過ぎていった感がある。続く年に御代替わりが確定しており、寧ろそちらに関心が向けられていたためであろうか。
 遡ること半世紀、昭和43(1968)年は明治百年を祝う年だった。維新百年を同時代史として知る一人として、ついつい比べてみたくもなる。とは言ってもその当時私は小学校中学年の学童に過ぎず、大人の世界の催しをどこまで理解できたかは不明だが、式典当日は学校が午前放課となったことは覚えている。また、日本の歴史に興味を持ち始めていた頃だったので、2学期末のクラスでの余興大会時には、友人数名と幕末の時代劇を企画し、そこでは何故か山内容堂に扮して悦に入っていた。維新百年という史実を前にして、幕末からの歴史の連続性へも幼いなりに思いを馳せた記憶がある。
 翻って考える――なぜ維新150年は盛り上がらなかったのか?よく引かれる2葉の写真がある。ひとつは維新百年の式典、もうひとつは昨年の150年式典、をそれぞれ写した写真である。前者では、時の佐藤栄作首相の万歳の音頭に合わせ、たくさんの式典参加者のみならず昭和天皇も両手を挙げて応えておられる。もう1枚の写真は安倍晋三総理の挨拶を聴くはるかに少ない列席者をとらえている。少数精鋭といえば聞こえはいいが、伝わってくる活気には大きな差があることは否めない。
 150年を祝う企画が期待に反した先例としては、平成21( 2009)年の横浜開港百周年の行事がある。横浜市長の肝いりで進めた企画が、予定入場者数を大幅に下回り巨額の赤字を出す結果に終わったことはいまなお記憶に新しい。
 なにゆえに100周年時とちがって、150周年の諸企画は振るわなかったのか?因みに勤務先の明治史の専門家に率直に訊いてみると、維新150年にあたっては関係する地方自治体は財政に余裕がなくあまり乗り気ではなかったのだという。国からの助成金があれば企画を考えてもよいが、そうでない場合自治体独自の予算での対応は苦しいという懐事情があったとの説明を受けた。確かに財力の裏付けがなければ大きな企画は難しい。だが、いかに緊縮財政であっても支出を躊躇わない項目もあるはずに思う。家計で言うなら、つましい暮らしをおくりながらも子どもの教育費は何とかして捻出する、といった具合に。