平成の防衛政策の進展と令和の憲法改正

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前自民党政務調査会審議役 田村重信

令和は、日本が世界標準国家として脱皮するとき
 令和になって、平成の30年は何だったのか?を振り返る政治や経済などの特集本があるが、防衛政策に関する検証がない。
 経済では、平成30年間の変化を評価する場合、世界時価総額ランキングが持ち出される。
 平成元年の1位は、日本のNTTで時価総額が1,638.6億ドル、2位以下は日本興業銀行、住友銀行、富士銀行、第一勧業銀行、IBM、三菱銀行、エクソン、東京電力、ロイヤル・ダッチ・シェルまでが10位で、トヨタ自動車が11位だった。50位に32の日本企業が入っていた。他は米国と英国だけだった。
 平成30年は、1位がアップルで9,409.5億ドル、2位以下がアマゾン・ドット・コム、アルフャベット(グーグル)、マイクロソフト、フェイスブックと続き、7位と8位に中国のアリババ・グループ・ホールデングとテンセント・ホールデングスに入った。10位内に日本企業は入っていない。50位内に日本企業はトヨタ自動車が35位で1社だけとなった。
 平成は、日本経済の成長が鈍化したが世界は大きく経済成長を遂げた。それは、冷戦時代に秘密とされていたインターネットや情報衛星などの軍事に関する新技術であり、それらが冷戦後、民間転用された結果、IT革命が起こったわけである。
 現在の日本の問題は、戦後からいまも残る軍事への異常なアレルギー反応で、東京大学などが科学技術研究を非軍事としていることで、これが日本の科学技術の発展を阻害し、その結果、日本経済の成長にブレーキをかけている。
 令和では、軍事技術と最先端科学技術の関係を素直に認め、非軍事といった考え方を改め、日本の防衛政策の重要性とそれを阻害している憲法9条との関係を見直して、憲法改正を実現することで、初めて日本が世界標準の国として脱皮することになる。
 平成は、日本経済及び科学技術は落ち込んだが、実は防衛政策だけは飛躍的に進展した。
 以下、平成の防衛政策の進展と今後の課題について考えてみたい。

平成の防衛法制・政策の進展
 私が自民党政務調査会で国防部会担当となったのは、1991年5月、湾岸戦争後のペルシャ湾の機雷除去業務を行うことを目的として海上自衛隊の掃海艇が派遣された頃だった。
 冷戦時代の防衛法制は、大きくいえば自衛隊法と防衛庁設置法の2つだけだったが、PKO協力法、国際緊急援助隊法、在外邦人等輸送法、周辺事態安全確保法、船舶検査法、テロ対策特措法・補給支援特措法、武力攻撃事態対処法等3法、国民保護法、イラク人道支援特措法、海賊対処法、平和安全法制など多くの法制が整備され、防衛政策が飛躍的に進展した。