国際社会に共通なルールとしての国際法
主権国家間に共通なルールである近代国際法が成立したのは、ヨーロッパで旧教徒の諸侯と新教徒の諸侯間で血みどろの戦いが30年間続いた宗教戦争の講和条約であるウェストファリア条約(1648年)以降のことである。
ウェストファリア条約は、諸侯の上位にあるキリスト教の権威によらないで、諸侯が自らの自由意志で規則として認めた国際ルールであり、ヨーロッパの諸侯が相互に主権を尊重すること、自国の軍事力をコントロールすることを前提に、主権国家として国際社会の基本単位となることを相互に確認し合い、内政不干渉を原則とする国際関係が成立した。それ以降、イスラム教国のトルコが受容し、仏教国の日本が導入することにより、近代国際法が世界に拡大したことは知られている。
国際法は、諸国間の共通ルールとなり、それが君主国であろうと共和国であろうと、そして政治体制の如何に関係なく、主権国家は、国際法の主体となった。かくして、主権国家の領土に関わる紛争は、主権にかかわる最も基本的なものとなり、共通ルールである国際法に従って解決されるべき事項となった。
主権国家は、自らが従うことになる国際法の締結に当たっては、あらゆる可能性を検討していることは言うまでもない。主権国家は、外国に服従せず、外交関係を自主的に処理できる能力を有しているはずであるため、自らの自由意志で締結した国際法は一方的に放棄や破棄ができず、破棄するには一定の手続きを経る必要があり、国際法上の義務はこれを履行しなければならないのである。
この度、韓国が自国の歴史認識を一方的に主張して、1965年の日韓基本条約や日韓請求権協定という国際法を無視したことは、国際法上のルール違反である。「合意は拘束する(pacta sunt servanda)」という国際法上の原則に反しているのである。日韓基本条約や日韓請求権協定は、日本と韓国との基本的な関係を相互に承認したもので、締結まで14年も要した。韓国は、条約締結に際して十分に準備したはずであったにも拘わらず、国際ルールを自己の都合でいとも簡単に無視し、国際的な顰蹙をかった。日本は、この事実を世界に向けて発信し続けなければならない。
日本による国際法の受容と不平等条約
日本は、明治維新以降、当時万国公法と呼ばれた国際法を受け容れ、日本帝国憲法を始め各種の法令を整備し、近代的な国家機構を確立していった。日本は、自国領域の外縁となる島嶼領土の領有手続きを国際法に従って行ったことは夙に知られている。