三点測量のすすめ

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JFSS顧問・東京大学名誉教授 平川祐弘

二本足の人
 令和を生きる、とは西暦二千二十年代以降を生きることですが、その際の日本人の生き方の特色は何か。令和の天皇様の特色は、日本の歴史の上で初めて外国留学をされ、英語でも自己表現が出来、日本語のみか英語でも著書を出されたということです。この日本から外国語で発信する天皇様の例は象徴的で、二十一世紀のわが国の指導的立場に立つ人は、日本列島内に跼蹐(きょくせき)するようではつとまらない。広く世界に向けて開かれた人でなければならない。これからの日本のリーダーは外国文化も知り、日本文化も身につけた二本足の人でなければならない。その双方の文化の視点からきちんと判断できる人であることが望ましい。
 本日の話題の「令和を生きる―比較文化の視点から―」とはそのように、複眼で世界を眺め、歴史を三点で測量するにはどうすればよいかを考えることかと思います。
 いま日本で大学へ行くほどの人は皆さん英語を学びます。その学習の延長線上に英語を介して西洋文化を学ぶとか、中国語の学習の延長線上に中国文化を学ぶ、とかいうことも目標に含まれておりましょう。しかし外国語を学ぶことはなかなか厄介で、皆様も苦労されたと思います。しかし私がここで取り上げる問題は、苦労して学ぶ段階の話ではなく、外国語をマスターした、外国語の上手な方にも生じる危険性についてでございます。
 
日本陸軍一のドイツ通
 具体例に即してお話いたします。かつて日本大使(日本の外交官)で駐在国のニュース映画にもっとも数多く登場した人物に大島浩(一八八六︲ 一九七五)がおりました。日本陸軍は将校志願の少年を幼年学校で今の中学二・三年時から予備教育を施し、ついで士官学校へ進学させました。幼年学校では独仏露中のクラスに分けて学習した。満十四歳から第一外国語として勉強するから達者になる。そのある者は在外武官として勤務する。すると駐在国が素晴らしい国に思われてくる。その典型的な例が明治十九年生まれの大島浩で、父大島健一は寺内内閣の陸軍大臣ですが、父もドイツ留学体験が有り、長男の浩を東京でドイツ人の家庭に預けて育てた。その浩は第一次大戦後、ベルリンのドイツ大使館付武官補佐官、オーストリア公使館付武官、ドイツ語に秀で、陸軍内のドイツ通として知られ、ナチスが政権を取った翌一九三四年からベルリンのドイツ大使館付武官、ドイツ外相リッべントロップと親しく交際しました。