近現代史の見直しを始めた欧州

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評論家 江崎道朗

スターリンの責任を追及する戦争博物館
 1989年のベルリンの壁崩壊と1991年のソ連邦崩壊ののち、欧州では、近現代史、具体的には第二次世界大戦と戦後史の見直しが始まっている。
 第二次世界大戦後、ソ連・共産圏に組み込まれていたポーランド、ハンガリー、チェコといった中東欧諸国や、ソ連邦に併合されたリトアニア、ラトビア、エストニアらバルト三国が、共産党政権時代の圧政と、共産圏に組み込まれる原因となった第二次世界大戦と、その後のソ連による侵略・占領を一斉に告発し始めたのだ。
 具体的には、共産党時代の人権弾圧と、第二次世界大戦当時のソ連・スターリンの戦争責任を追及する戦争博物館を次々と建て始めた。
 そこでロシア革命百年に当たる2017年、ドイツ、チェコ、ハンガリーを回り、これら戦争博物館を見て回ったが、そこで気づいたことは、第二次世界大戦史に関する日本人の歴史認識には、致命的な誤解、盲点があるということであった。それは、第二次世界大戦においてソ連は当初「侵略国家」として非難されていた、という事実である。
 1939年8月23日、ドイツとソ連が独ソ不可侵条約秘密議定書(モロトフ・リッベントロップ秘密協定とも言う。以下「秘密議定書」と略)を結んだ。この「秘密議定書」では、ポーランドの西はドイツ領、東はソ連領にすることや、バルト三国、フィンランドなどをソ連の支配下に置くことが決められていた。
 その「秘密議定書」に基づいてドイツは9月1日、ポーランド西部に侵攻(次いでソ連も9月17日にポーランド東部に侵攻)、それに反発した英仏による宣戦布告によって第二次世界大戦は始まった。
 要するに第二次世界大戦は、ナチス・ドイツとソ連による秘密協定と、両国によるポーランド侵略から始まったのだ。
 次いでソ連はバルト三国に対してソ連軍の駐留を要求し、11月30日からはフィンランド侵略(冬戦争)を開始した。この侵略によってソ連は国際連盟から除名処分となっている。
 ところが、ナチス・ドイツが1941年6月22日、独ソ不可侵条約を破棄し、対ソ侵攻作戦(バルバロッサ作戦)を開始したことから、「敵の敵は味方」の論理で英米両国は、ナチス・ドイツを打倒するために、ソ連と手を結ぶようになっていく。
 つまり戦争の構図が「イギリス、フランス、ポーランド」対「ドイツ、ソ連」だったのが、「イギリス、フランス、ソ連」対「ドイツ」へと変わってしまったのだ。
 その後、日本の真珠湾攻撃をきっかけにアメリカも参戦し、「英米仏ソ」対「日独伊」となり、ソ連は英米と同じ連合国側になった。