「 ワシントン海軍軍縮条約」の当時から学べる教訓
―中華人民共和国の本質を見極めることに向かって―

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上席研究員・麗澤大学准教授 ジェイソン M・モーガン

「ワシントン海軍軍縮条約」とその背景
 およそ100年前、1922(大正11)年2月6日に、「海軍軍備制限ニ関スル条約」(所謂「ワシントン海軍軍縮条約」)が締結された。イタリア、イギリス、フランス、アメリカ、そして日本の5ヵ国間で結ばれたこの条約は、その名の通りにそれぞれの国の主力艦とその他の艦艇の生産を制限するものだ。第一次世界大戦の後の軍備競争によって各国の軍事予算が膨張する事や、終わったばかりの大戦が二度と勃発する事のないよう、様々な事を防ぐ為に「ワシントン海軍軍縮条約」が必要とされていた。
 5つの国が条約に署名したものの、一番重要な国はアメリカと日本だ。1898年の米西戦争が引き金になり、アメリカという共和国は本格的に帝国に変貌した。既にハワイに凱旋して「槍の先」でハワイ諸島をアメリカのものにしたが、フィリピンをスペインから奪った途端、アメリカは太平洋大国となった。ワシントンにたかる新帝国主義者が太平洋の制覇にどう頭を悩ませ、同時に太平洋の彼方で徐々に力をつけている大日本帝国、とりわけ大日本帝国海軍と睨み合うようになった。
 第一次世界大戦で疲れ果てた欧州の列強が、太平洋にある植民地を持ち続けられなくなった気配を鋭く察したアメリカと日本は、欧州帝国の極東・太平洋の「跡」を継ぎ、欧州列強が手放す植民地を奪う野望が湧いてきた。「ワシントン海軍軍縮条約」として装ったアメリカの戦略の本当の狙いは、新しく登場したライバル、大日本帝国の勢いを制限する事だ。
 
 東西問わず、一般的な歴史解釈は大体上に述べた通りだろう。例えば、「ワシントン海軍軍縮条約」を取り上げる殆どの教科書や歴史書は、上述した概要を繰り返す。しかし、「ワシントン海軍軍縮条約」を巡る一般常識は間違っている。条約によってアメリカがライバルの日本を弱体化しようとしたのはもちろん事実だが、その事実よりもっと大切な事実が三つある。一般的な解釈を繰り返すことで、「ワシントン海軍軍縮条約」の深い意義と、「ワシントン海軍軍縮条約」の当時の状況と現在の極東の状況との繋がりを滲ませてしまう恐れがある。特に、今台頭している新しい太平洋大国、中華人民共和国、も、昔の大日本帝国と同じ様に、ワシントンが発行する条約に束縛されるつもりはない事をここで強調したい。
 
「ワシントン海軍軍縮条約」に潜む三つの重要なポイント
 さて、「ワシントン海軍軍縮条約」の歴史に潜んでいる重要なポイントの一つは、条約締結の3年前、つまり1919(大正8)年に、「ヴェルサイユ会議」(正式には「パリ講和会議」)で日本が提案した「人種的差別撤廃提案」が、ウイルソン大統領の企みによって却下されてしまったことだ。