1.はじめに
私事で恐縮であるが、1960年初夏(5~6月)の日米安保条約改定案(新安保条約)の国会審議時、筆者は10歳半(小学5年生)であった。その前年に購入した我が家待望の白黒テレビを通じて流れる「安保反対運動(デモ)」は、政治には何の関心もない田舎の「鼻たれ坊主」の眼にも一大事と映った。後年、世の中が少し理解できるようになった高校生の頃には、当時の大混乱を、漠然とではあるが「革命前夜とはあのことか」と思うことさえあった。
話を1960年に戻すと、民主主義や共産主義、そして日米安保が何たるかさえ分からない小学生でさえ、「ソ連は自由のない押さえつけられた国」ということはおぼろげながらも分かっていた。このため、筆者は、新安保条約により「自由の国アメリカ」と組むことへの激しい反対運動に対し「何で?」という素朴な疑問をもったことは今でも記憶している。高校生の頃には、当時の反対運動の中心となった社会主義や共産主義を信奉する人たちは口では民主主義を唱えるものの、本音は我が国の伝統や文化を否定して共産革命を目指す反民主主義・反米主義者であることが分かるようになっていた。同時に、「この人達は『羊の皮を被った狼』である」との思いを強め、その狡猾な姿勢と手段に強い不信感を持った。
そのような中、筆者が防衛大学校を志願した1960年代後期からベトナム戦争が終了する1975年頃までは、折からのベトナム反戦運動と全国的な大学紛争のため、騒然とした日々が続いたが、それを煽ったのもこの「羊の皮を被った狼」の人々であった。今振り返ると、この「日本の伝統的価値の否定と民主主義への挑戦」を狙う人達への疑問と不信感が、筆者の人生を決める引き金になったことは確実である。
閑話休題、今日でも反安保・反米の立場をとる識者やマスコミが多数存在するが、前大戦により全てが破壊された状態から新たな歩みを始めた我が国の急速な発展と繁栄、そして我が国の民主主義社会を支えたものが新安保条約と日米同盟であったことは、何人たりとも否定しがたい事実である。更に、人類史上最も激しい戦争を戦った、本来は許しがたい旧敵国にも拘わらず、我が国が早期に国際社会に受け入れられた原点も、米国が日本の保証人となった日米同盟体制にあることも明らかである。このような観点からは、1951年調印の旧安保条約改定を断行し、新安保条約の発効と同時に身を引いた岸信介総理は歴史に名を残す宰相であることは明白であろう。