日本国家の行方

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顧問・東京大学名誉教授 平川祐弘

疫病と国家の栄枯盛衰
 「日本国家の行方」について書け、という編集部の仰せである。察するにこれは二〇二〇年四月三日『産経新聞』「正論」欄の私の記事に「コロナ禍後に来る米中覇権争い」という立派な題がついていたから――これは同新聞社文化部の岡部伸氏がつけたので、私ではない――、それを見た本誌編集者の頭に、ではコロナ禍後の日本国家の行方はどこにあるか、という問題意識が閃いて私に依頼が来たに相違ない。
 そんな予測ができる才覚は私にはない。しかし疫病と国家の栄枯盛衰に関係があることはとくと承知している。
 問題は、このコロナ禍の後、米中いずれがこの地球社会で大国として生き延びるかである。より正確にいうと米国に代表される自由主義体制と中国に代表される権威主義的体制のいずれが勝ち残れるかである。そしてその際に、日本はいかなる道を進むべきか、という我々の主体的な選択が問題となる。
 
フィレンツェとシエーナ
 今回の疫病と覇権争いを見て、私が思い浮かべた歴史的先例は、疫病で没落したイタリアの都市国家のことである。西暦一三〇〇年に舞台が設定されたダンテ『神曲』を、私は現役の大学教授時代、毎年のように教えてきた。その中で対立する二つの二大都市国家は、フィレンツェとシエーナであった。この二つのコムーネと呼ばれた都市国家が『神曲』中で屹立する二大国家である。
 日本人でイタリアを訪れた人の中には、フィレンツェだけでなくシエーナまで足を延ばした人は多いだろう。二つの観光名所は同じトスカーナ地方に位置し、自動車を走らせるなら二時間足らずで行ける。しかし十四世紀当時のイタリアは都市国家が互いに反目し覇を争っていた。当時の西洋は文明の一番進んでいたイタリア半島にしても、いまだネーション・ステートは形成されてはおらず、フィレンツェとかシエーナとかピーサなどの都市国家が近隣の都市国家と戦闘を繰返していたのである。
 それだからフィレンツェ人ダンテはシエーナとかピーサとかジェーノヴァとかピストイアとかを憎んだ。これは京都の人間が奈良も大阪も大津も憎んだようなもので、今日の日本から振返ると滑稽である。しかし日本も十七世紀の初頭に豊臣氏が大阪城夏の陣で滅ぶまでは藩単位で戦っていたようなものである。郷土愛の強いダンテが敵対する都市国家に対して発した『神曲』中の悪態はそれは空恐ろしいばかりで、わかりやすいように敵国ピーサを敵国大阪に置き換えて訳してみると、ざっとこうなる。