安倍・プーチン交渉破綻の謎

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拓殖大学海外事情研究所教授 名越健郎

 安倍晋三首相が悲願としたロシアとの北方領土問題解決による平和条約締結は、首相の病気退陣により最終的に破綻した。首相は辞任表明した8月28日の記者会見で、日露平和条約交渉、北朝鮮による日本人拉致問題、憲法改正が実現しなかったことを挙げ、「志半ばで職を去ることは断腸の思いだ」と述べた。
 安倍政権は戦後の歴代政権で最もロシアに友好的な政権だった。安倍首相は2013年4月の訪露を経て、プーチン大統領との首脳交渉プロセスを開始。1期目を含めると、大統領との首脳会談は計27回に及んだ。
 安倍政権は従来の対露政策を転換し、「新しいアプローチ」を打ち出した。領土問題解決後に経済協力を行うとの伝統的な路線を覆し、協力を進めながら、領土問題を解決する方針で臨んだ。戦後長らく国是だった「4島返還論」を「2島プラスアルファ」に転換した。G7(主要7ヵ国)の対露制裁に、日本だけ同調しないこともあった。
 だが、こうした涙ぐましい努力もロシアには通用しなかった。歯舞、色丹2島の引き渡しを謳った1956年の日ソ共同宣言を基礎にした交渉も、「ゼロ回答」というロシアの強硬姿勢を前に暗礁に乗り上げた。とりわけ、ロシアが今年7月、「領土割譲禁止」条項を含む憲法改正を実施したことは、強烈なしっぺ返しとなった。日露平和条約締結を自らのレガシーにしようとした首相にとって、文字通り「断腸の思い」だろう。
 本稿では、安倍首相の対露融和外交が不発に終わった背景を探り、今後の北方領土問題の行方を展望した。
 
ウクライナ危機で暗転
 安倍政権2期目の対露外交を振り返ると、2014年のウクライナ危機が重大な転機となり、ロシアの国粋主義志向によって暗転したことが分かる。
 それまでの安倍外交は比較的順調だった。北方領土問題の解決による平和条約締結は、父・安倍晋太郎元外相の悲願でもあり、父は晩年、病を押してモスクワを訪れ、ゴルバチョフ大統領訪日実現に腐心した。秘書として父の外交を見ていた安倍首相は、「地球儀を俯瞰する外交」の重点目標に対露外交を位置付け、外交権限を外務省から奪って官邸主導外交を展開した。
 ロシアでも、2012年にプーチン氏が首相から大統領に復帰し、欧米との関係停滞の中で、アジア太平洋を重視する「東方外交」に着手。北方領土問題で「引き分け」に言及するなど日本重視姿勢を示していた。安倍首相は13年4月、日本の首相としては10年ぶりにロシアを公式訪問し、プーチン大統領と会談。