無思想という思想
去る7月30日、「台湾民主化の父」と評される李登輝元台湾総統が97歳でこの世を去った。筆者は、李氏の著書『新・台湾の主張』(台北:遠足文化、2015年)の冒頭に図らずも「解説」を書くという僥倖にも恵まれ、生前は何度も李氏の謦咳に接してきた。天寿全うとは言え、やはり寂しい。心にぽっかりと空いた穴が埋まるには、まだまだ時間がかかりそうである。
李氏の言葉には、ある種の哲学性があり、その真意、行間を読み解くことが極めて難しかった。こういった人物は、現代における台湾社会では稀有な存在であり、もう2度と同じような傑物は出てこないだろう。
ただし、それ故に、李氏の主義・主張には「一貫性」が感じられないという印象を受けたのも事実である。生前、李氏と接する中で、「そもそもあなたには『思想』というものがないのではないか」と問いたくなる場面が何度もあった。しかし、結局は叶わなかった。ただ、想像するに、もしこう問い質せば、恐らく李氏はそれに異議を唱えることなく、「その通り」と答えていただろう。それどころか「私は私たり得ないところの私であるべき」と、さらに一歩踏み込んだ返答を出したかもしれない。
李氏は、少年の頃から古今東西の先哲が残した書物を読み漁り、やがて「私は誰か」「人間とは何か」「いかに生きるべきか」ということを自問自答し続けるようになったという。旧制台北高校を卒業するまでの間に、哲学を中心に岩波文庫の文庫本だけで700冊以上も読み込み、早くも英語でトーマス・カーライルの『衣装哲学』、ドイツ語でヨハン・ゲーテの『ファウスト』や『若きウェルテルの悩み』、フリードリヒ・ニーチェの『ツァラトゥストラはかく語りき』といった作品を読破している。そんな中、李氏にとって、兄・李登欽の存在は大きく、兄の勧めで「近代日本最大の仏教者」と評される鈴木大拙の『禅と日本文化』を読み、座禅を組みながら苦行に身を晒すことにより自我を克服しようとしたという。
李氏は生前、自らの思想のベースは、日本初の哲学書『善の研究』を著した京都学派の創始者として知られる哲学者・西田幾多郎の「西田哲学」にあると語っていた。敗戦後の日本を見ずして1945年6月7日に75歳の生涯を閉じた西田は、「無」に回帰して初めて「私」があり、「私たり得ない」ことが成り立つと論じた。西田に傾倒した李氏の思想とは、言わば「無思想という思想」ということなのではないか。筆者は、そう感じずにはいられない。