現実のものとなった香港のワースト・シナリオ
―国家安全維持法で香港は自由・人権侵害の「陳列窓」に―

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顧問・元ブラジル国駐箚特命全権大使 島内 憲

香港と筆者
 筆者は、中国やアジアの専門家ではない。40年近い外交官人生のうち海外勤務は21年間だったが、その殆どを米州及び欧州で過ごした。そういう中で、幸運にも1993~95年、香港勤務の機会に恵まれた。2年足らずの在勤だったが、外交官として、そして、一日本人として目から鱗が落ちる思いの毎日だった。
 香港勤務以来、アジア、更には世界全体を見る視点が大きく変わったと思っている。香港は、欧米ではないが、純然たるアジアでもない。欧米人、日本人のみならず、インド人、フィリピン人をはじめ南アジア、東南アジアの人々も大勢いる。アジアと欧米の間に自らを置き、世界から良い点を取り入れ、それを活力の源とするというのが香港特有の生き方である。日本人には大変居心地が良く、勉強になるところが多々ある場所だ。
 しかし、極めて残念なことにその香港が輝きを失おうとしている。2019年の100万人、200万人デモをはじめとする反中・反香港政府の大規模抗議行動などに対して、中国は香港への直接介入に踏み切った。2020年7月に香港国家安全維持法を成立させ、民主化運動の息の根を止めようとしている。国際社会の目があるので、香港の自由と人権の侵害はある程度抑制せざるを得ないが、それでも、新疆ウイグル自治区等で行っている人権抑圧とその本質において変わらない。違いは、「公衆の面前」での人権侵害となっていることだ。
 以下では、香港勤務中に目の当たりにしたことを紹介しつつ、中国の国家安全治安維持立法に至った経緯を振り返り、今後の注目点について考えたい。尚、本稿では、総領事館と交流があった香港の有力者、有識者の実名に言及することは香港の現状に鑑み差し控えることとしたい。
 
1990年代半ばの香港情勢―楽観論と強い不安
 筆者が在香港総領事館に着任したのは、1993年3月だった。ポジションは総領事館首席領事(ナンバー2)だった。普通、在外公館の次席の役目は、館長(大使や総領事)が重要な外交活動に専念できるよう、館の円滑な運営に目配りすることであるが、香港総領事館の場合、総領事が行事を主催したり、招待されたりすることが余りにも多いことから、その一部が首席領事に委ねられることが屡々あった。「総領事代理」として、香港を実際に動かしている多くの各界有力者と直接知り合うことができた。最近のマスコミ報道にも時折名前が出てくる長老クラスの一部も存じ上げている。