「正論」編集部には「宝物」がある。1973(昭和48)年創刊号からの雑誌「正論」だ。どのバックナンバーを見ても執筆者は壮観である。
私の手元に、私の年齢よりも少しだけ若い、貴重な創刊号がある。執筆者は、会田雄次氏、猪木正道氏、衛藤瀋吉氏、高坂正堯氏、田中美智太郎氏、福田恆存氏、本間長世氏、村松武氏、若泉敬氏、紅一点は曽野綾子氏。錚々たる顔ぶれである。ボロボロの表紙と目次の後にある、「執筆の人々」の写真紹介にはこう書かれている。
「(執筆者は)いずれも、この“現代”に敢然と挑戦する信念の人、サンケイ新聞のオピニオン『正論』によって連日、公正不偏の主張を展開する思想家である。そこには風雪に耐え、なおかつ前進する“日本の良識”がある」
いまの時代、堂々と自社の雑誌を“日本の良識”と呼ぶには躊躇があるが、進歩的文化人が闊歩していた時代の創刊だけに、最後の一文に込められた決意と覚悟は力強く、重い。
先の紹介文の前半部分は、当時の状況をこう書いている。「繁栄という名で突っ走った日本列島の歪みが、いまあらゆる分野でさらけ出されている。インフレ、公害、生活難、人々はあらそって目先の利益のみを追求し、行く手をさえぎる根本の対策には盲目である。――文明があって文化がない、批判があって建設がない、終末感にみちあふれた現代なのだ」。
「公害」が昭和を感じさせるが、この部分を除けば令和3年の現在にも該当する課題、問題意識である。特に「行く手をさえぎる根本の対策には盲目である」という点は、いまとなっては見えているのに目をそむけるようになっており、深刻さを増している。48年前にこの文章を書いた編集者がいまの日本を見たら、「なんだ、何も変わってないし、もっとひどくなっているな」と思うかも知れない。
中国ウォッチャーの慧眼
もう少し、本誌にかつて掲載された論考について言及させていただく。
本稿をお読みの方で、この人物を知らない人は少ないと思う。産経新聞が世界に誇る記者、柴田穂(みのる)氏だ。日本の“進歩派”論壇が中国の文化大革命(文革)をもてはやすなか、「劉少奇氏を頂点とする“党内実権派”打倒の政治闘争である」と言い切ったのが柴田氏だった。私も産経新聞入社後の新入社員研修で柴田氏について話を聞いた、伝説の“産経人”である。
産経新聞の記事によると、外信部記者だった柴田氏は、文革が始まった直後の1966年6月、中国共産党の重鎮だった彭真(ほうしん)が北京市長を解任されたというニュースに接し、「一大権力闘争の開始だ」と叫んだという。