正解のない新たな時代に 求められる未来創造
―渋沢栄一とピーター・ドラッカーに学ぶ―

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上席研究員・事業構想大学院大学教授 下平拓哉

はじめに
 コロナ禍による世界的混迷の出口は見えず、今はまさに、社会問題の解決やビジネスの存続に前例が通用しない正解のない新たな時代となってきている。国際社会の荒波に初めて晒された激動の明治期に、日本の様々な企業や経営に携わり、「日本資本主義の父」とも称せられた渋沢栄一ならば、この状況をどのように考え、どのように行動するであろうか。また、会社経営やビジネス界で、世界中の人々に影響を与え続けている「マネジメントの父」とも称せられるドラッカー(Peter Drucker)ならば、どうするであろうか。ウィズ/ポストコロナと言われる正解のない新たな時代において、世界的混迷を乗り越えていく上で、物事の本質を見極めた渋沢栄一とドラッカーの考えに学ぶところは少なくない。
 渋沢栄一が生まれた1840年は、アヘン戦争が勃発し、没した1931年には満州事変が生起している。また、ドラッカーが生まれた1909年は、渋沢栄一が日本各地の実業家や有望な若手に米国社会の本質を理解してもらうため、渡米実業団団長として3ヵ月にわたる米国の主要都市訪問を成功させ、その後の日米親善深化の契機となった。彼らの生きた時代は、まさに現在に通じる、東アジア激動の時代であった。
 ドラッカーの『ポスト資本主義社会』は、明日を見るため、そして明日のために今日何をなすべきかを知るための必読書と言われるが、そこでは、世界を転換期と捉え、政治や経済等、あらゆる領域における構造変化の意味を問いている。そして、「西洋の歴史では、数百年に一度際立った転換が起こる。世界は歴史の境界を越える。社会は数十年をかけて次の新しい時代に備える。世界観を変え、価値観を変える。社会構造を変え、政治構造を変える。技術と芸術を変え、機関を変える。やがて50年後には新しい世界が生まれる。」と、知識社会や組織社会といった新たな時代の到来を予期した。
 本稿では、渋沢栄一とドラッカーの著書を主な分析対象として、彼らが激動の時代を乗り越えていく上で、どのように考えてきたのかを考察することによってその共通性を見出し、正解のない新たな時代において、未来を創造していくための事業の要件とは何かについて明らかにする。
 
1 渋沢栄一とドラッカー
 激動の時代を生き抜いたドラッカーが渋沢栄一を高く評価していたことは、夙に知られている。ドラッカーの『断絶の時代』において、「岩崎弥太郎と渋沢栄一の名は、日本の外では、わずかの日本研究家が知るだけである。