情報機関の見えざる手、世界を動かした黒子たち
―対日最後通牒ハル・ノートの原案を作成した元米国財務次官補ハリー・デクスター・ホワイト―

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政策提言委員・元公安調査庁金沢事務所長 藤谷昌敏

はじめに
 8,500万人の犠牲者を出し、世界に大惨禍を及ぼした第二次世界大戦が終結してから、早75年が経った。戦後、我々日本人は、「太平洋戦争(大東亜戦争)の原因は、日本の軍国主義が引き起こしたもので、少数の指導者が無謀な戦争を引き起こしたのだ」などと教えられ、それは現在でも日本人の意識の中に深く刻み込まれている。しかし、戦後、米英情報部が実行した暗号解読作戦「ヴェノナ・プロジェクト(VENONA、Venona project)」が公にされると、米政府内に巣食っていたソ連スパイが米国を対日戦争に誘導するために、いかに暗躍していたかが明らかとなった。また、ソ連の粛清から逃亡して西側諸国に亡命したソ連情報機関のスパイが諜報活動について暴露するようになると、日本に対する詳細なソ連のスパイ活動の実態が暴露された。日本では、少数の新進気鋭の歴史研究家の努力により、そうしたソ連スパイによる謀略活動について研究されるようになったが、未だにその研究は限定的である。
 本稿では、ソ連の工作活動の実態について暴露した複数の文書や証言について紹介し、「ヴェノナ文書」によってソ連スパイと指摘された元米国財務次官補ハリー・デクスター・ホワイトが米国の対外政策にどのような影響を与えたのかについて考察してみたい。ホワイトは、11年間に亘ってフランクリン・ルーズベルト政権を支えた財務長官ヘンリー・モーゲンソー・ジュニアの大抜擢により、米国の対外政策に大きな影響を与えた人物である。
 
1. ソ連スパイの活動を暴いたヴェノナ・プロジェクトと亡命ソ連スパイの証言
(1)ヴェノナ・プロジェクト
 ヴェノナ・プロジェクトは、1943年から1980年まで37年間に亘って、米国陸軍情報部(後のNSA米国国家安全保障局)と英国秘密情報部(Secret Intelligence Service、SIS、MI6とも呼称)が協力して行った、ソ連とスパイの間で交信された暗号電文を解読する極秘プロジェクトのことである。解読されたファイルを「ヴェノナ文書」という。その結果、1930年代から1940年代末にかけて、米国の政府機関、情報機関、軍、民間組織などの重要機関にソ連の浸透工作が行われ、米国政府の政策や意思決定をソ連に有利に進めていた可能性があることが明らかになった。当時の米国共産党や有名大学を利用したスパイ工作は組織的で巧妙であり、各政府組織の重職を占めるスパイたちにより世論操作などの影響力工作が大規模に行われた。