中国は如何なる国か
もう30年以上前のことになる。私が米国の某大学に留学した際、私生活で中国人准教授に大変お世話になった。彼は天安門事件を機に、米国に亡命した有名な中国人ロケット科学者であった。
ある時、彼は中国政府から講演に招聘されていると筆者に漏らしたことがある。中国には絶対に帰るべきではないと筆者は強く主張した。その2年後、どういう事情があったのか知らないが彼は帰国し、北京空港で中国当局に身柄を拘束され刑務所に収監された。大学は米国政府を動かし、米国を挙げて釈放運動を実施したが、なしのつぶてで今に至る。詳しい話は本題ではないのでこの辺にしておく。
留学中、私は「中国とはどういう国か」と彼に聞いたことがある。彼は即座に「2人のカールを愛する国」だと答えた。非常に新鮮な響きで、今なお強烈な印象として残っている。
「2人のカール」とはカール・フォン・クラウゼヴィッツとカール・マルクスである。クラウゼヴィッツは、有名な「戦争論」を書いた元プロシャの軍人である。マルクスは「資本論」を書いて共産主義の理論的主柱になった人物である。2人に共通しているのは「力の信奉者」であることだ。マルクスはクラウゼヴィッツから多大な影響を受けていると言われる。
「戦争が止まるときは、両者の武力が均衡した時だけ」、「平和というのは戦間期」、「戦争は血を流す外交、外交は血を流さない戦争」、「流血を覚悟してはじめて流血なき勝利が得られる」と、2人は多くの箴言を残している。
中国は、「2人のカール」を愛する国らしく、相手が強いと下手にでるが、弱みを見せるとつけ込んでくる。中国の建国の父、毛沢東も16文字の詩を残している。
「敵が進めば我は退き、敵が止まればこれを撹乱し、敵が疲れればこれを打つ、敵が逃げれば追いかける」
まさに中国共産党100年の歴史は「力の信奉者」のそれと符合する。中国共産党は1921年、コミンテルン(国際共産主義組織)の主導により、党員57人でスタートした。それ以降、1930年代から中華民国政府と内戦を繰り広げ、国民政府軍に勝利を収めた。1949年10月、毛沢東が中華人民共和国の建国を宣言するが、まだまだ貧しい国だった。にも拘わらず、毛沢東は「民が飢えても」力の源泉たる「核」は自力で保有するとの方針のもと、核開発に成功した。
毛沢東の後を継いだ鄧小平は、「力の信奉者」と同時に現実主義者でもあった。1970年代、まだまだ力不足である中国の外交方針として「韜光養晦」を掲げた。軍事力も経済力も弱い中国の外交は、頭を低く下げて、手もみをしながら下手に出ながら実施するという方針である。別の高官は「屈辱に耐え、実力を隠し、時を待つ」とも言った。