東トルキスタン共和国の崩壊と新疆ウイグル自治区の成立

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日本ウイグル協会理事 サウト・モハメド

第二次世界大戦後、毛沢東と蔣介石の間で中国の支配権をめぐって争いが起きた。1949年、毛沢東が率いる中国共産党(以下、「中共」)は国民党政権を破り、10月1日に中華人民共和国(以下、「中国」)、所謂「新中国」の成立を宣言した。国共内戦で敗れた蔣介石は台湾に逃れ、大陸の支配権は完全に失った。
 毛沢東らは中国の支配権を掌握する前後、武力を背景に内モンゴル、東トルキスタン、チベットを一方的に併合し、清帝国時代とほぼ同じ領土に拡大した。この新たに台頭した共産主義、拡張主義を掲げる中国を国際的に認めた国は少なかったが、1971年に蔣介石政権に代わって中国の国連における代表権が認められ、国連安全保障理事会常任理事国となった。冷戦後、中共は世界規模のグローバル化の波に乗じ、著しく経済発展を成し遂げた。しかし豊かになった中国は民主化することなく、逆に国内外において独裁体制の維持、諸民族の弾圧、拡張主義を貫いてきた。現在、中国は人口サイズで世界第1位、経済規模で世界第2位、領土においては米国に並び世界第3位を占める超大国となっている。
 
ウイグル人の略史
 多民族国家である中国には政府が公式に認めた民族が56あるが、主要民族の漢族以外の55の民族は「少数民族」と称される。中国政府は漢民族の輝いた歴史や優れた文化を強調する一方、「少数民族」の歴史や文化はあまり認めない。中国政府の公式な発表では、「新疆は漢王朝(前漢、前206年~24年)の時期から中国という統一的多民族国家の不可分の構成部分となり始めた」と主張し、この地域は古代から漢人の居住地であり、そこに住む「人民」は伝統的に漢人の王国に帰順し、その支配を受け入れてきたと主張する。最後には中国と毛沢東がウイグル人を「解放」したという「歴史」が語られている。つまりウイグル人が過去に国家を建てたこと、東トルキスタンの原住民であることなどは全て否定され、元から「中華民族」であるとされている。
 しかし、中央アジアの考古学的研究は19世紀後半に始まっており、ドイツ、ハンガリー、ロシア、イギリス、アメリカ、フランス、スウェーデン及び日本などの考古学者、探検家などにより、多くの遺跡・史料が発見された。積み重ねてきた研究によって21世紀の現在に至る中央アジアの遊牧民族の姿が分かってきた。
 中国の史書にも匈奴・鮮卑・柔然・突厥・鉄勒・回鶻・蒙古など遊牧民族の名前が見えるが、ウイグル人とテュルク系に属する遊牧民であり、その先祖は匈奴に遡ることができる。中国の歴史第一書を書いた司馬遷もウイグルの祖先を2世紀頃の「丁零」であると記している。