五輪と世論
「こんなに熱心にテレビを見たことは初めてである。オリンピックに特に関心があったわけではなかったのでこれは自分にも意外な事であった。オリンピックと聞いて嫌な顔をしていろいろ悪口を言っていた人も案外テレビの前を離れられないのかも知れない。たかが小さな硝子板に映し出されたカメラによる模写である。だがこの抽象的な映像は生きている。その自立した抽象性が私を静かな感銘に誘い込む。私は競技する人間の肉体による表現力を満喫した。」
以上に引用した文章はかの小林秀雄が1964年10月の東京オリンピックの終了後に『オリンピックとテレビ』と題して朝日新聞に寄稿した文章の一節である。1964年は日本が高度経済成長に入る直前で未だ貧困人口が多く、東京も未開発都市だった。加えてこの年の夏は未曽有の旱魃に直面し、都市部における水不足は極めて深刻な状況であった(この時、飛行機から薬剤を空中散布して雨雲を発生させる化学実験まで行われたが失敗している)。
また、政治的にも3月に暴漢によるライシャワー米国大使に対する傷害事件が発生、8月には北ベトナムでトンキン湾事件が起こって戦争本格化の危機を迎えていた。こうした状況下にあって主要メディアは「今、なぜオリンピックなのか」とばかりオリンピック開催反対を唱え、多くの有識者・知識人もこうした世論に乗り、時に扇動した。NHKによる世論調査(1964年6月時点)でオリンピックに関心を示す者はわずか2.2%、これに対して「他にすべきことがある」との回答が58.9%に上ったという。まさに不人気の極みだった。
ところが、いざオリンピックが始まると国民は大松監督率いる女子バレーボールチームや男子重量挙げの三宅義信選手の活躍に熱狂し、男子マラソンにおける円谷選手の懸命の走りに感動した。開催反対だった世論は一変し、反対派の急先鋒の1人であった作家の石川達三氏などは「開会式を観て考えを変えた」と早々に白旗を挙げたのである。
今回の東京オリンピックは、2020年初めから続く新型コロナの猛威が収まらない中で開催された。1年延期して感染の収束を期待したものの新たな変異株が拡がり、世論も開催を不安視し、開催反対を声高に唱える人たちも少なくなかった。主要メディアは世論調査の結果として「国民の70~80%が開催に反対」と大々的に報じた(共同通信、朝日新聞、毎日新聞など。但し、読売新聞は賛成50%、反対48%という異なる調査結果を報じていた)。