中国共産党と日本共産党は兄弟党だった
中国共産党が今年創立100年を迎えた。1年遅れの1922(大正11)年に創立された日本共産党は、来年の7月15日に創立100年を迎える。両党は、いずれもレーニンの指導の下に作られたコミンテルン(共産主義インターナショナル)の中国支部、日本支部として誕生した。当時、世界の共産党はすべてコミンテルンの支部として作られた。
中国共産党と日本共産党は年子の兄弟政党だったのだ。当時はソ連共産党もコミンテルンの支部であり、世界の共産党はお互いに「兄弟党」と呼び合っていた。コミンテルンは1943年6月に解散するが、マルクス・レーニン主義を掲げる世界の共産党・労働者党は、戦後になっても互いに「兄弟党」と呼び合っていた(※ベトナム共産党が1951年から76年までベトナム労働党と名乗っていたように、労働者党や他の名称を用いるマルクス・レーニン主義政党も少なからず存在していた。)私は、1967(昭和42)年に日本共産党に入党したが、当時も互いに「兄弟党」と呼び合っていた。今では死語になったが、当時は「国際共産主義運動」という概念が存在していた。
日本共産党の戦前の役割は中国革命への貢献
日本の共産党だから日本の革命のために戦うのが第一義的課題と思われるが、コミンテルンの指導はそうではなかった。コミンテルンの主導で1927年7月に作られた「日本問題に関する決議(27年テーゼ)」という文書がある。日本共産党自身が「日本共産党が正式に採択した最初の綱領的文書」と位置付けているものである。そこには次のようにある。
《(日本の)党は、中国における日本の干渉と、ソビエト連邦にたいする日本の戦争準備とにたいして闘争する義務を果たさなければならぬ。
以上のことから出発して、日本共産党は、次のごとき行動綱領を提出し、次のごときスローガンをかかげなければならぬ。
帝国主義戦争の危険にたいする闘争。 中国革命から手をひけ! ソビエト連邦の擁護。》
要するに、ソ連擁護と中国革命の成功に力を尽くすことが日本の共産党の第一の任務だというのである。実に馬鹿にされた話だ。立花隆著『日本共産党の研究(一)』(講談社文庫)によると、この「27年テーゼ」を解説した「報告の要点」という日本共産党の内部文書があり、そこには次のように述べられているという。
《従来党の見解は日本は極東に於ける強大なる帝国主義国家である。日本が崩壊せざる限り支那革命も、朝鮮、其の他の解放も共に成功するものではない(中略)と云ふ見解を持ってゐた》