科学・技術の国家戦略を考えるために

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スイス連邦チューリッヒ工科大学サイエンティスト
北海道大学名誉教授 武田 靖

《序文》
 明治の開国から約150年、太平洋戦争終了から約75年が経過した現時点である。つまり現在の日本は75年を周期とした国の歴史の節目に当たっていると言えるだろう。その間、日本の立国はほぼ技術の力によってなされてきた。最初の半分の75年は、明治維新直後の富国強兵というスローガンのもと、国を豊かにそして強くすることに、開国によって取り込まれた技術が大きく貢献した。その使い方の結果を完全に好とするわけにはいかないが、建国は大いに果たされたとみて良いであろう。そして大戦の敗北も彼我の技術力の差によるところが大きいとされる。そしてその結果として灰じんと化した国土の復興もまた技術―今度は科学技術という形―によって進められ、それなりの成果を出すことはできた。但し、第二の立国政策は、占領政策としてアメリカによって行われてきたことは正しく認識されているとは言えない。
 そしてその第二立国期の後半である2000年前後からの長期低迷の約20~30年間、その力は必ずしも更なる発展を見る事はなく、新興国や中国などに対して劣勢を隠すことはできないほどに落ち込んでしまっている。これからの次の立国を果たす上で、以上の時間の流れのなかで、技術や科学が日本ではどのように取り入れられ施策されてきたのかを正しく振り返ることが重要である。本来は科学史や技術史の専門家が行うべき作業であろうが、そのような動きは殆ど見られない。それは恐らく、彼らがその中身や本質といった哲学を理解していないからであろうと推測せざるを得ない。
 本稿では、科学や技術とは本来どのようなものであり、それがこれまでの日本、特に大戦後の立国に果たしてきた意味合いを正しく理解することで、これからの戦略構築に役立てようという意図をもって考えていく。
 初めに(I)戦後の立国のために用意された科学技術政策遂行の柱とされる日本学術会議について述べる。現時点で学術会議は大転換を求められているが、その現状が立国にどれほどの役に立っているのか、そしてなぜ今転換が必要であるのかを知るには、この75年間でどのように流れてきたのかを理解することが根本的に必要なことであろう。その後で、(II)科学と技術という2つの現象の本質的な差異を明らかにすることで、立国に果たす役割をどう捉えれば良いのかを解説する。(III)現在の科学や技術についての世界覇権を握っているのは米国である。しかしそこでも戦後の75年間での科学技術行政が行き詰まっていて、それに対して起き始めている変革を紹介する。